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課題集 黄ススキ の山

○自由な題名 / 池新
○服 / 池新


★日本に入ってきたのは(感) / 池新
 日本に入ってきたのは仏教だけではない。儒教も道教も入ってきた。だが、これらは日常生活の考え方や習慣に関するものがほとんどで、押しつぶされそうな感じはない。だが、仏教は違う。そこには神学があり哲学があり物語がありで、圧倒的な教義体系がある。こんな宗教が入ってくれば、それまであったものは消えてなくなってしまうものである。朝鮮半島はそうだった。
 古来、朝鮮半島南部にあった宗教は日本の神道と同じである。先に亡命してきた百済人に触れたが、彼らは土地を与えられて日本に定住した。すると、彼らは祖先を祭神とする神社を建てた。それらはいまでも日本各地に残っており、神道の神社として祀(まつ)られている。だが、肝心の朝鮮半島では仏教に圧倒され、いまでは民間習俗の中に名残を見ることができるだけである。
 飛鳥時代、仏教が入ってきた当初は、神道を重んずる人々との間で多少のゴタゴタはあった。だが、大きな宗教戦争に発展することもなく、いつか平和的に両者が共存することになった。そこには日本人の大変な知的努力が払われたことを知らなければならない。
 昔の日本人はこう考えたのだ。天竺に仏教の本家本元があって、そこの仏陀や菩薩や如来が日本に来て、日本の神の形になって姿を現したのだと。これが本地垂迹説である。これだと、目本の神は仏が姿を変えて現れたものなのだから、何の矛盾もなく共存させることができるわけである。
 しかし、何しろ仏教の教義体系は圧倒的である。これではやがて神道は仏教に呑み込まれる。日本人はさらに本地垂迹説に磨きをかけた。こう考えたのだ。宗教的な真理がある。それがその土地土地によってさまざまな形になって姿を現すというのである。宗教の真理がインドでは仏になり、日本では神になったと。そして、インドで大日如来になったものは日本では天照大神、インドで阿弥陀になったものは日本では八幡様、というように、一つひとつを比定することまでやっている。
 こうなると、一方が本家で他方が分家といった関係ではなく、神も仏も同格、まったく同じものということになる。同じものなのだから、何の矛盾もなく平和に共存できるわけである。
 こんな知的努力をやったのは日本だけである。だから、いま私たちが見るように神社と仏閣が共にそびえ建ち、祖先崇拝の神道が脈々と受け継がれ、仏に帰依する仏教が隆々と生き残り、しかも何の矛盾もない、という状態が出現したのである。
 平安末期、佐藤義清という北面の武士が出家し、僧侶になった。それが西行法師である。彼が伊勢神宮に参ったときに詠んだ和歌がある。
 
 何事のおはしますかは知らねども
 かたじけなさに涙こぼるる
 
 仏教の僧侶が神道の神様を拝んでありがたさに涙をこぼすというのはどういうわけだ、と思うのは、一神教的神概念に毒された頭のなせるわざである。西行にとっては天照大神も大日如来も同じなのだ。僧侶の身で神前にぬかづいても、なんの矛盾もないのである。
 西行の和歌は四千首ほどが残されている。彼は武士の身分を捨てて出家したほどだから、仏教に関する和歌をたくさん詠んでいてもいいと思うのだが、仏教が表面に出ているのはたったの三〜四首といったところ。ひたすら日本の美しい景色を詠んでいる。なぜか。
 自然の一つひとつに神が宿っている。その神は祖先でもある。と同時に、それは仏でもあるのだ。だから、風景を詠むことは国を敬い、仏土を讃えるお経を読むことと同じだったのである。
 
 本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)義清(のりきよ)
 
 「歴史の教訓」渡辺昇一「致知二〇〇〇年六月号」より抜粋)