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課題集 黄ススキ の山

○自由な題名 / 池新
○家 / 池新


★数年前までニューヨークといえば(感) / 池新
 さて、数年前までニューヨークといえば危険な都市というイメージでしたが、近年それがだいぶ様変わりし、とても安全な都市に生まれ変わりました。七年前、ニューヨークの治安回復をスローガンに掲げた元検事のルドルフ・ジリアーニ氏が市長に当選し、さまざまな改革を行った結果です。
 彼はマイナー・クライム(軽犯罪)の撲滅を宣言しました。まず警察官を増員します。また、組織と事務処理の合理化を図り、余剰人員となった警官をすべて街頭に配置しました。だから至る所に警官の姿が見られるようになりました。
 交通違反、少年非行、家庭内暴力(夫婦喧嘩)、アルコール中毒、ホームレス、ドラッグ(麻薬)……、とにかく何でもかんでもどこにでも警察が出て行って取り締まります。すると、セントラル・パークも地下鉄も安全、清潔になって、殺人も半減。白人たちが帰ってきて、活気が戻ってきたのです。
 これは日本の警察とは対照的です。日本は事勿かれ主義による不作為、やらないことが問題なのに対し、あちらはやりすぎが問題になっています。
 警察は、 〃憎まれ役〃でなければなりません。悪者には断固 〃鬼〃でなければならない。でも助けを求める弱者には救いの手を差し伸べなければならない。それが今どうでしょうか。驚くべき不作為の実態が、新潟の女性監禁事件や、栃木のリンチ殺人事件などで明らかになりました。今こそ日本の警察は、ジリアーニの姿勢に学ぶべきです。
 ところで、日本の警察の不作為の要因には警察力の絶対的な不足があることを指摘しておかねばなりません。例えば、ニューヨークは八百五十万人の人口に対して、警官が四万二千人。市民約二百人に対し一人の警官がいます。これに対し、例えば埼玉県は人口八百人に一人。栃木県は七百三十人に一人です。だから交番はいつもがら空きです。お巡りさんの姿が見えません。全国平均では五百五十六人に一人になるものの、総じて警察力の不足は否定できません。オウム真理教による地下鉄サリン事件でこれが明らかになり、平成八年には十数年ぶりの増員がありましたが、まだまだ不十分です。
 (中略)
 相次ぐ少年犯罪の発生を受けて、少年法の改正が議論されています。大いに結構なことですが、それにはまず法令ごとに異なる「未成年」の概念を統一する必要があります。その上で量刑政策を見直すべきです。現在は教育刑主義が基本になっていますが、これに応報主義を加味すべきです。少年審判が、どんな事件の場合でも裁判官と弁護士と本人だけで審議される一審制というのも納得しかねます。それに無期懲役の判決が下ったオウム真理教の林郁夫受刑者のケースなど、あれだけ多くの殺人に関与しましたが、おそらく十六年もすれば娑婆に出てくることでしょう。無期懲役は文字通りの無期、終身刑でなければならないと思います。
 それからもう一つ大きな問題は刑法第三十九条です。「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」――これが濫用されています。何か事件が起きると、その加害者が何でもかんでもこの三十九条で釈放されるものだから、再犯、累犯が絶えません。三十九条で釈放された人の精神病治療や世話は、すべてその家族にまかされてしまいます。病院も凶暴性のある患者は困るので、「はい、治りました」と早々に退院させてしまいます。これはやはり何とかしなければなりません。
 私は、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の措置入院強制入院のためにきちんと予算を取って、国の精神病刑務所をつくり、そこに刑事罰を科せられなかった凶悪な精神障害者を収容すべきだと考えています。
 しかし、こうした意見には弁護士、進歩的文化人、精神病院は「人権」を合言葉にこぞって反対です。善良な国民を守るためには、刑法第三十九条の運用、精神障害者に対する刑事政策を変える必要があるのです。
 行き過ぎた加害者の人権保護の問題も、少年犯罪、少年法の議論と合わせて、問い直すべきときがきています。
 
 (佐々淳行「致知二〇〇〇年六月号」より抜粋)