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課題集 黄ススキ の山

○自由な題名 / 池新
○ゴミ / 池新


★大学の向うはフロント(感) / 池新
 大学の向うはフロント(前線)なんです。戦争だったら塹壕の中をはいずりまわり、四六時中鉄砲でドンパチやらなければならないような現場なんです。そこは戦死する人が毎日出ている現場なんです。四年後にそういうところに投入される覚悟ができていますか。毎日遊んでいて、最前線で生き抜いていくだけのサバイバル能力が自分の身につくと思いますか。
 そう考えたら、遊んでいるひまなんか全くないはずです。きみら大学に入るために多少は受験勉強をやったつもりかもしれないけれど、これから必要な勉強に比べたら、あんなものは屁みたいなものです。
 これからの大学時代、受験生時代の一〇倍は勉強しなければ間にあわないと思わなくちゃいけません。もちろん、大学時代ずっと遊んでいてもそれですむような世界もあります。そういう人生もあります。そういう人生が望みの人は、この授業とは無縁の人ですから今すぐ出ていってかまいません。
 いまのきみらは、将来どちらの方向にすすむにしろ、まだ無知のかたまりです。大学の入学試験に通ったというので、相当の知識をすでに持ったつもりになっているかもしれないけど、そう思っているとしたら、それは大間違いです。
 (図を示して)これは、高等学校の理科の教科書にのっている事項が、それぞれ何世紀に発見されたものなのか、全部拾い出して時代別に集計するとどうなるかをまとめたものです。ちょっと見ただけでびっくりするでしょう。物理と化学では、きみらが学んだことのほとんどが一九世紀以前の知識なんです。物理では、一七世紀にまでさかのぼるものが大きな比重をしめているのは、ニュートン、ガリレオ、ケプラーが一七世紀だからです。まず気がつくことは物理においても、化学においても、一九世紀の知識が圧倒的部分を占めていて、二〇世紀に入ってから発見されたことはほとんど教えられていないということでしょう。現実には、物理においても、化学においても、一九世紀以前に得られた知識と二〇世紀に入ってから得られた知識とでは、質においても、量においても圧倒的に後者が重要です。比率において九対一以上といっていいくらいです。それなのに、なぜこれほど二〇世紀の発見が冷遇されていて、一九世紀以前のことばかり教えているのかというと、理由があります。二〇世紀の物理学は、基本的に量子力学と相対性理論の上に組み立てられています。ところが、今の高校では、それが高校生にはむずかしすぎるということで教えないことになってるんです。この二つをのぞくと、物理学はニュートン以来の古典物理学がもっぱらということになってしまうんです。量子力学を抜きにしてしまうと、現代物理学の主要なフィールドの一つである物性物理を教えられないということになります。半導体のチップがなぜできるかとか、超伝導とは何かといった、すでに産業界の現実になっている問題が扱えないんです。同じ理由で、現代化学の問題がほとんど扱えないんです。現代の化学理論は、ほとんど量子論の上に組み立てられていますから、それなしには大事なことは何も教えられません。それが、化学において二〇世紀のことがほとんど教えられないという現実につながるんです。
 生物だけは二〇世紀に発見されたことがある程度多くなっているのは、分子生物学の初歩を教えているからです。生物のほとんどあらゆる領域が分子生物学化している現在、分子生物学を全く教えなかったら何も教えることがなくなってしまうから教えざるをえないということです。しかしそれでも、分子生物学の現在の到達点からいうなら、教えていることは、まだまだほんのちょっぴりです。
 要するに、これが意味していることは、きみらは間もなく二一世紀の最前線に放り出されようとしているのに、きみらの頭の中は、まだ一九世紀以前のことでいっぱいで、二〇世紀のことはほとんど何も知らないということなんです。
 ここでも問題が多いのは文系の人です。理系の人はこれから専門課程に進む中で、それぞれの領域において、最先端のことがわかるところまで強引にキャッチアップさせられます。しかし、文系の人には、そういうプレッシャーがかかってこないから、自主的努力の積み重ねで自分でキャッチアップしないと、現代の科学技術社会の流れから完全に取りのこされてしまいます。
 きみたちがキャッチアップしようとしまいとに関係なく、現代社会の大もとは、二〇世紀の知の到達点であるサイエンスの上に築かれたのだし、現にそれによって動いているんです。あとは、その社会にきみたちがどのようにかかわりたいと考えているかです。それによって、キャッチアップの必要性と必要度がきまってきます。二一世紀の社会の中心的な担い手の一人になりたいと思うなら、これから勉強に次ぐ勉強が必要です。大学が用意してくれるカリキュラムをこなしていればそれでいいんだと思っていたら大間違いです。グローバルスタンダードからいって、日本の高等教育の水準は低いんです。自分自身でその上に積み上げをはかっていかないと、主体性を失い、ただの有象無象の一人となります。そして、社会的流砂の中の一粒のごとき存在として押し流されていくだけの人生を送ることになります。
 (図をもう一度示して)ここに出ているのは、あくまで高校理科の教科書に記載された事項の集計です。高校でその科目を正規にやった人ですら、この程度なんです。その科目を高校でとらなかった人はどうかというと、それ以下のレベル、つまり中学レベルということで、それはこれよりもっともっと低いんです。そして、今の制度だと、きみらはみんな半分の科目については、そういうレベルにあるんです。本気で二一世紀社会にキャッチアップしようと思ったら、大変な努力が必要だということがわかるでしょう。
 
 「脳を鍛える」(立花隆)より