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課題集 黄シオン の山

○自由な題名 / 池新
○学校 / 池新


★数年の歳月が経ったある日(感) / 池新
 数年の歳月が経ったある日、妹がひょっこり訪ねてきた。父の遺産は全部放棄したと思っていたのに、何の手違いからかまだ少し残っていたことがわかったが、これをどうしたらいいか相談に来たというのだ。ちょうど進学と重なっており、喉から手が出るほどに欲しかったらしい。でも石川さんは妹に、「すでに財産の相続権は放棄していることであり、またあの嫌な争いを繰り返したくない。何にも頼らずがんばろう」と言った。
 しかし、それに釈然としなかった妹は天香さんに事情を話した。天香さんに呼ばれ、どうするのですかと聞かれた石川さんは、妹に言った言葉を繰り返した。ところが天香さんは、そうですかとは言わず、「それは違う。欲しくないという立場から、相続問題を預かり直しなさい」と言われたのだ。条件は二つ。一つは、欲しくないという証を立てること、もう一つは、出して喜ぶものでなければ取ってはならない、だった。(中略)
 それから数年が経ったある寒い朝、目が覚めると、以前、天香さんから聞いたことがある禅の公案「婆子焼庵」のことが浮かんだ。
 あるとき、あるお婆さんが町で托鉢をしていた若い雲水を見かけた。この雲水は見所があると思い、家に連れて帰り、庵を建ててやって、修行を支えた。それから数年が経ち、だいぶ修行も進んだだろうと思い、身の回りの世話をしていた娘さんに言いつけた。
 「今日、給仕がすんだら、あのお坊さんに抱きついてみろ。そしてこんなときにはどんな気持ちがするか聞いてこい」
 娘さんがお婆さんに言われた通りにしたところ、雲水は平然として答えた。
 「古木寒巌によって三冬暖気なし」
 つまり、あなたがいくら言い寄っても、私はあなたを冷たい岩に生えている古木のようにしか感じない。そうして三年経っても動揺することはないと言った。それを伝え聞いたお婆さんは、糞坊主に無駄飯を食わしてしまったと怒り、雲水を叩き出し、庵も焼いてしまったという。
 天香さんはこの話をして、娘も抱かず、追い出されもしないためにはどうするかと問い掛けたのだ。
 石川さんはその朝こう気付いた。
 (あの雲水は、どんな誘惑を受けても私は動じないと、自分の「正しさ」を主張するのが精一杯で、娘さんを煩悩の世界から救うことは考えてもいなかった。今の私は物欲の世界から逃げているだけであって、遺産相続問題で争い、苦しんでいる親族に対し、どれだけ祈り、助けになろうと努力しただろうか。今の自分はあの時の雲水と同じではないか)
 それに気付くと、矢も盾もたまらず天香さんを訪ね、私に逃げがあったと詫び、親戚の家々にお詫びの托鉢(便所掃除や手伝いをすること)に行かせてくださいとお願いした。
 こうして宇都宮に近い故郷の上石川村での托鉢が始まった。家々の門口に立ち、私の修行のためにおたくの便所掃除をさせてくださいと頼む。小学校四年生まで育った村だから覚えている人もいて、「あんた、あの上ノ蔵の総領息子と違うんけ?何でまた」「お父さんが生きておられたら、ここまで落ちぶれることはなかっただろうになあ」などと言う。でも中には感心する人もいて、「若いのにようやるなあ。ありがとう」と便所掃除をさせてもらえる。ありがたいのはこちらの方ですと下坐におりて便所掃除をさせてもらった。夕方、ある農家の便所掃除が終わって出てくると、お婆さんがまぶしそうな顔をして石川さんの顔を見詰め、「どこのお方か知らんけど、人のできんことをようやりなさるなあ。汚い便所をきれいにしてくれて、ありがとう。何にもないが、もう夕方だし、おにぎりでも食べていってくれるか」とおにぎりをくださった。それを押し戴き、口に入れようとした瞬間、関東平野のかなたから、今にも沈まんとする太陽が、雑木林の枯れ木を縫って、矢のように全身を包み込んだ。おにぎりの一粒一粒のお米が夕陽の中で輝いている。思わず石川さんはお米を拝んだ。
 (ああ、これが欲しくないという証だったのだ。)
 やがてとっぷりと日が暮れ、石川さんは托鉢を続けながら、叔父さんの家を訪ねた。突然の訪問に叔父さんは驚いた様子だったが、頼まれた通り、主だった親戚を集めてくれた。
 「今日集まっていただいたのは、他でもありません」と石川さんはぼそぼそと話しだした。「まだ名義変更になっていない財産があったことがわかり、またごたごたを引き起こしたくないので、これもお譲りすることにしました。でも、これを通して今までの私は財産を巡ってのもめごとから逃げていただけで、祈ってはいなかったことに気付いたのです。物は正しい扱い方をしなければ身につかないどころか、却って身を滅ぼす原因になります。今さら遺産をどうこうしようというのではありませんが、石川家の財産が不自然な形のままで処理されているということは、何か大きな問題が残されていくのではないでしょうか」
 そして石川さんはお詫びする思いで、父の墓の前で一晩坐った。北関東の冬の夜である。零下七、八度まで下がり、凍えるような寒さだったが、何かに任せきった落ち着きを得た。
 すると、翌朝親戚の方々が来られ、誰も傷つかない形ですっきりと整理された。親族から預かったお金を持って、石川さんは母を訪ね、一部始終を話して、それを渡した。すると母はそれを押し返して「これはみんなの菩提心によって生み出されたものです。自分たちの生活に使っていいものではありません。天香さんにお渡しし、世の中のために使っていただきなさい」と言った。
 
 「致知」二〇〇〇年五月号より
 莚(むしろ)雲水(うんすい)婆子焼庵(ばししょうあん)托鉢(たくはつ)庵(いおり)寒巌(かんがん)上ノ蔵(うえのくら)