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課題集 黄シオン の山

○自由な題名 / 池新
○家 / 池新


★重い荷を背負い(感) / 池新
 世の中には、重い荷を背負い、人に語れないほどの苦労をしてこられた方がたくさんおられます。しかし残念なことに、せっかく積み上げてきた貴重な体験を、無駄にしてしまう人のほうが多いと私は思います。
 人に屈辱的な目に遭わされたり、冷遇されたりして辛い思いをすると、それをバネにして、「いまに見ていろ」と頑張る人はたくさんいます。しかし、自分が少しばかり功成り名を遂げてしまうと、残念なことに傲慢になったり、かつて自分が受けた仕打ちを何倍にもして人に返してしまう人が非常に多いのです。
 それでは、せっかく積み重ねてきた苦労や努力が、水泡に帰してしまいます。水泡に帰すだけでなく、世の中に害毒をもたらすのです。自分が受けた仕打ちを人にしてしまえば、それを受けた人の心は荒み、憂さを晴らすという形で別の人に仕返ししていきます。心の荒みはどんどん伝播し、広がっていきますから、世の中は決して良くはならないのです。
 仏教詩人・坂村真民先生は、「一生叩かれることが自分の使命である。鉄床のような人生を自分は送る」とおっしゃっています。鉄床とは、熱くした鉄を叩いて鍛える台です。坂村先生は、打たれることが使命である、鉄床のような人生を送りたい、とおっしゃっているのです。
 できることなら、辛かったことや嫌な思いは自分のなかにとどめて、人に伝えていかないようにしたいものです。それも、ストレスとしてためてしまうのではなく、すべてを自分のなかに受け止めるような人間になっていただきたいと思うのです。一人ひとりがそれを心がければ、世の中は必ず良くなっていくはずだ、と私は信じています。
 私は、三十年以上にわたって掃除の運動を続けてきました。しかし、いまになって思えばこれも、冷たい仕打ちをしたり、中傷してくださったいろいろな方のおかげで続けることができたのです。そういう思いが、どれほど私を鍛え、励ましてきたかと思うと、御礼を申し上げたいくらいです。
 会社でトイレ掃除を始めたばかりのころは、社員はみんな無関心無視を装っていました。みんな、私が掃除をする手をまたいで通るようなありさまでした。しかし、十年それを続けたところ、何の強制をしたわけでもないのに、社員は少しずつ関心を寄せ、実践してくれるようになりました。二十年続けたら、ほとんどの社員が自発的にやるようになっていました。さらに十年続けて三十年経つと、社内だけではなく、社外の人も掃除の仕方を教わりに来るようになり、「日本を美しくする会」という全国的な運動にまで発展したのです。出典は分かりませんが、古人の素晴らしい名言をご紹介します。
 十年偉大なり。二十年おそるべし。
 三十年にして歴史なる。
 どんな些細な小さなことでも、十年心を込めて続けるということは「偉大」なことです。それにもう十年加えて、二十年間それを続けたとしたら、それは「おそるべき力になる」というくらいに意義があります。そして、さらにもう十年続けて三十年に至れば「歴史ともいえる力になる」のです。
 私の掃除人生は、まさにこの言葉通りのものでした。些細なことを、何の見返りも求めずにやり続けること。それは、確かに至難なことです。しかし、その至難なことをやり遂げたときに、初めて「歴史となる」のです。
 続けるということが、いかに偉大な力を持っているかということを、私は心底実感しています。どんな苦労も自分のなかにとどめ、このような形で昇華していくことで、世の中を少しでも良くしていきたい、と私は切に願っています。
 
 「致知」二〇〇〇年五月号より
 荒む(すさむ)鉄床(かなとこ)