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課題集 黄セリ の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新

○「第一に、歴史においては」を読んで(感) / 池新
★みなさんは金融工学という(感) / 池新
 みなさんは金融工学という言葉をご存じかと思う。これは、そもそも理科系の大学で軍事ロケットの打ち上げなどを研究していた人々が、米ソ冷戦の終結によって職を失い、大量に金融の世界に流れ込んできたことをきっかけにできた学問である。
 複雑なマーケットの動きを、ロケットの軌道を計算するための極めて難解かつ高度な計算式で割り出し、それこそ一秒、二秒という短時間でセル(Sell)とバイ(Buy)の判断を下していく。アメリカやイギリスの金融機関、あるいはマネー・ブティックと呼ばれる小さな資産運用会社には、こうした売り買いの判断を下すソフト開発のために大学の工学部で博士号を取ったようなスーパー・エリートたちがごろごろいる。
 では、いったい金融工学の本質とは何か――。
 それは、他人の懐にあるお金をいかにして自分の懐に入れるか――ということを研究する学問なのである。
 つまり、詐欺や略奪が本質となることを合法化するルールづくりをする学問である。たとえてみれば、カジノのバカラなどのゲームを考案するのと同じである。他人のお金を自分のものにする〃場〃の創造と言っても過言ではない。こうした学問を極めた人がノーベル経済学賞をもらうのだから、世の中は面白いものだと私は思う。
 ちなみに、日本人でノーべル経済学賞をもらった人は一人もいない。
 日本人は、人の懐のお金を合法的に奪う論理を確立するために、生涯を捧げるようなことはできない民族なのである。そんなことより、こつこつと丹精こめてモノをつくるほうが性に合っている。いいモノを仕上げたときにこそ、日本人の喜びがある。人のお金をまんまとせしめたところで、日本人はうれしくもなんともないのである。
 日本人は、おそらく金融工学の世界では、逆立ちしてもアメリカ人に勝てないだろう。何百年何千年もの間、狩猟民族として、自然からそして他者から〃奪う〃ことを生業としてきたアングロサクソンのDNAと、自然の恵みを分かち合い、協力し合って自然を守り育て感謝してきた日本人のDNAの違いは、いかんともし難いのである。
 しかし、だからといって悲観することはない。日本人は、〃心〃という分野では、アングロサクソンよりもはるかに豊饒な世界を持っている。そして資本主義の究極には〃心の時代〃がやってくる。そのことについては、章を改めて説明したいと思う。(中略)
 では、精神資本主義の時代とは、いったいどんな時代なのだろうか――。
 ここで、注意していただきたいのは、私がわざわざ精神に資本主義という言葉を結び付けているということである。
 私は、〃物質の時代〃が終わって〃精神の時代〃がやってくるとは言っていない。資本主義である以上、それは人間の欲望を原資とする社会システムであることに変わりない。心を満たしたいという人間の欲望が牽引車となって、社会が動いていく。そういう世界である。(中略)
 精神の満足を得たいというのも、まぎれもなく人間の欲望の一形態である。そして、これが欲望である以上、必ずビジネスを構成する。また、こうしたことを否定するのは不自然である。
 最初は金儲けとして始まったことが、やがて本当に人間の心をカルティベート(教化)していくこともある。もちろん、うさん臭いものもたくさん出てくることになるだろうが、そうしたものは徐々に淘汰されていく。なぜなら、人間の欲望とは、そんなに甘いものではないからである。
 私は長年国際金融の世界で仕事をしてきたが、前述したとおり、国際金融や金融工学の世界は、まさに他人の懐のお金をあらゆる手を尽くして自分のお金にしてしまおうという世界である。それは人間の欲と欲のぶつかり合いである。そうした場面で見えてくる人間の欲望とは、まことにすさまじいものである。逆に言えば、甘っちょろいモノやサービスでは、人間の欲望など満たされはしないのである。
 精神資本主義の時代にはさまざまな〃精神商品〃が生み出されることになるがイカサマやまがいものは遠からず淘汰されてしまう。そして最後には、必ず本物だけが残っていくのである。それは、本当に人間の心を満たすものである。「奪う」という資本主義の哲学を追求しながら、気がついてみると「与える」という神の世界に近づいているのである。
 
 「サイバー資本主義」(増田俊夫)より