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課題集 黄セリ の山

○自由な題名 / 池新
○寒い朝、体がぽかぽか / 池新

○「中国には」を読んで(感) / 池新
★これまでの説明で(感) / 池新
 これまでの説明で、読者は「有用微生物群(略してEM)とは、いったいどんなものなのか」と興味をもたれたと思います。EMとは簡単にいえば、光合成細菌、酵母菌、乳酸菌など昔から食品加工などに使われてきた有用微生物の複合体です。
 微生物の世界でも人間界と同じように、悪い微生物が増えると悪いことが起き、よい微生物が増えればよいことが起きる。たとえば牛乳や大豆を放置しておくと、ふつうは腐ってしまいます。腐敗は悪臭を発し、強烈な活性酸素を誘発する酸化現象であり、それを起こすのは腐敗型の微生物です。すなわち、有害な微生物は強烈な酸化酵素をもっているのです。
 ところが同じ牛乳や大豆でも乳酸菌や納豆菌と作用させれば、牛乳はヨーグルトに大豆は納豆になる。この現象は微生物が抗酸化物質を生成し、腐敗を防いで有機物を低分子化し、吸収しやすい状態にするからです。それは有用な微生物のもつ強い抗酸化酵素のためなのです。腐敗と発酵の違いを見てみると、すぐわかるのは腐敗では不快な臭気を発し、発酵では独特のよいにおいがすることです。
 腐敗の悪臭は硫化水素やメタン、アンモニアなどが生成されるためで、それらを食べると下痢をしたり食中毒を起こします。それらの還元物質によって強い活性酸素・フリーラジカルが誘発されるからで、古くなったものを食べると、腐敗と同じ酸化毒によって老化を早めたり、生活習慣病を招いたりします。
 一方、よいにおいのする発酵ではアミノ酸やビタミン、低分子の多糖類や抗酸化物質などが生成され、食べておいしく、長期に保存するほど熟成し、また栄養的にもすぐれたものになります。
 (中略)それからもう一つ、微生物のはたらきについては重要な発見がありました。それは多くひよりみの微生物が日和見的体質をもっていたことです。日和見とは「成り行きを見て有利なほうへつこうとする」ことですが、微生物にもこの性質が備わっていたのです。
 つまり、勢力の強い微生物がいると、ほかの微生物はそれに「右へならえ」する。たとえば人の腸内には約一〇〇種の微生物が住みついていますが、ボス格は善玉菌のビフィズス菌、悪玉菌のウェルシュ菌など数種類にすぎず、あとの菌はそのときどきの優勢な菌のいいなりになって暮らしているのです。だからおなかの具合を整えるには、ビフィズス菌をしっかり取るか、EMを飲んでビフィズス菌を強化すればいい。同じ理屈で考えると、EMを適量畑にまいてあるレベル以上の密度にすると、土壌中の膨大な種類の微生物の大半はEMと同じグループのいいなりになる、ということです。
 EMは善玉菌と同じく抗酸化物質を生成する力があります。EMがっくり出した抗酸化物質(EM・X)を添加して病原性の大腸菌や病原菌を培養すると、病原性を失ってふつうの大腸菌や日和見菌に変わって悪さをしなくなります。それどころか、このような菌は逆に、同種の病原菌の勢力をおさえ込む役割を果たします。
 したがって、EMは散布したり飲んだりすれば体の内外が抗酸化状態となり、悪玉菌は悪さをしなくなり、日和見菌は悪玉菌をおさえるようになります。それと同時にその逆も真であることを忘れてはなりません。
 EMのなかで、酸素が嫌いな嫌気性のボス的存在は光合成細菌です。光合成細菌はまだ地球に酸素がない時代に大いに繁栄した古顔の微生物で、彼らは当時の地球に豊富にあった炭酸ガスやメタンガス、アンモニア、硫化水素などをエサにしていたのです。このエサに注目していただきたいのは、これらはすべて現代の環境汚染物質だということです。地球上に、酸素を必要とする好気性微生物が登場する以前は、光合成細菌に代表される嫌気性微生物の天下にありました。彼らは、われわれにとって環境汚染物質である炭酸ガスやメタン、アンモニア、硫化水素などを食べて繁殖し、排泄物として酸素や水、アミノ酸、糖類、硫黄などを出し、その後の生物進化の基質(エサ)をつくったのです。
 その後、好気性微生物の天下になり、嫌気性微生物が少なくなったのは彼らの嫌いな酸素が増えてしまったからです。
 嫌気性微生物は最初は豊富なエサに恵まれ、どんどん繁殖した。だが排泄物の処理ができず、ついに地球の片隅に追いやられてしまった。この嫌気性微生物の運命は、いま人類がおかれている状況とそっくりです。
 しかし、ここで汚染物質を好む彼らを引っ張り出してやり、彼らと共存するつもりになれば、彼らは喜んで人類の排出した汚染物質を処理してくれます。実際にEMをどんどん使っている地域で、残留農薬やダイオキシンをはじめとする多様な汚染がつぎつぎと消えているのはこういう理由によるものです。
 最近のゴミ問題では、「できるだけリサイクルしよう」という発想が主流を占めています。だが大量生産、大量消費の時代に大量廃棄は免れないことでもあり、リサイクルは必ずしもベストではありません。なぜなら、そこには問題の先送りにしかすぎない一面が厳然としてあるからです。
 それよりも、ゴミもほかの廃棄物も遠慮なくどんどん出して、それらを好む者に引き渡してしまえばいい。EMは喜んでそれを処理し、私たちに役立つものを排泄物として出してくれます。この共存共栄関係をつくり出せば、汚染物質あるいは汚染源として、いま私たちを悩ませているものは、すべて無害化するか新しい資源に変身してしまうのです。
 
 「甦る未来」(比嘉輝夫)より