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課題集 黄サツキ の山

★英会話重視はよいが(感)/ 池新
 英会話重視はよいが、教科書で会話がうまくなるのは不可能に近い。それはすでに述べたとおりである。それどころか、本当に英語を高いレベルでマスターしようと思えば、旧式とも言える訳読法やら、文法重視の英作文が絶対必要なのである。
 例を挙げればきりがないが、中谷巌氏(元一橋大学教授、ソニー社外重役)から直接お聞きした話を紹介しておきたい。何年か前、中谷氏とヨーロッパを回っていたとき、中谷氏のほうから英語教育についての体験談を話してくださったのである。「昔、受験参考書でやったような英語が本当に役に立つんですね。ハーヴアード大学で博士論文を書いていたとき、いっしょに論文を書いていたアメリカ人の学生に英語を直してもらったんですが、まさにその直してもらったところを教授に直されるんですよ。受験勉強で身につけたように書いた英語はかえって直されませんでした」
 この中谷氏の体験こそ、私がここ三十年以上も雑誌「英語教育」(大修館書店)でくり返して述べてきたことそのものであった。
 最近でも、文脈に従って文法的に正確に本を読み、英作文をつくるという伝統的な勉強、――正式には文法訳解法(グラマー・トランスレーション・メソド)という――を体験的に支持する人の書いたものが目につく。一方、嘆かわしいことに、伝統的な英語の勉強法――漢文の伝統に連なる勉強法――は役に立たない、という迷信が流布している。こうした迷信を打ち破る発言をいくつか紹介してみよう。
 まず、ここ数年英語を読む力が落ちたことを怒りかつ嘆くのは、「河合塾」の人気英語講師である豊島克己氏である(月刊「Verdad(ヴェルダ)」一九九七年六月号)。「四、五年前なら、かろうじて駒沢程度だった生徒でも、今は堂々、早大生ですよ」東大でも英語のレベルが落ちているそうだ。昔は大学受験のために予備校に来る生徒ならみんなが知っていて当然で、予備校でわざわざ説明する必要なかった初歩的な構文でも、今は初めから教えなければならないという。それこそ高校では何をやっていたのか、ということになる。英文を理解するための基本的な文法も何も教えていなかったということになる。
 たぶん英会話みたいなものだけを教えていたのであろう。しかし高校の英会話の授業だけで、本当の英会話ができるようになる日本人は一人もいないはずだ。そう断言してもよい。つまり高校の英語はなんの役にも立たないことに時間を使っているわけである。その結果、よいといわれる大学受験のためには、予備校で英文法の基本的構文から教えてもらわなければならないことになる。
 それを受けて、神経精神医学者の和田秀樹氏のように、「受験勉強は子どもを救う」という意見も出てくる。和田氏や西鋭夫(にしとしお)氏(麗沢大学教授、スタンフォード大学フーヴァー研究所主任研究員)には、共通の体験がある。このことは私も体験していることであり、ほかにも体験者が少なくないはずなのに、なぜかあまり注目されていない。自分は英語がよくできると思って、アメリカ(イギリスでも同じ)へ行った人が、相手の話す英語は聞き取れず、こちらのしゃべる英語はわかってもらえないことから大きなショックを受けるのである。日本の有名大学の英語の入試を突破した人や、日本にいて英語を熱心に学習した人なら、みんな体験することである。この段階で日本に帰国すれば、「日本の今までの英語教育はまったく役に立たなかった」ということになる。これを第一次英語ショックと呼ぶことにしよう。
 ところが日本の難しい大学入試英語ができた人は、一年ぐらいアメリカにいると、突然、相手の話す英語がほとんど聞き取れるようになるし、こちらのしゃべることも相手に通じるようになる。そして、レポートなどを書いて提出すると、アメリカ人の教授がびっくりする。
 ついこの間まで、聴いてもダメ、話しても発音不明瞭だった学生が、忽然とアメリカ人の学生よりもきっちりした英語で最優秀のレポートを書く。ひょっとしたら誰かに書いてもらったのではないかとさえ疑う。しかしまさにその日本人学生が、一人で、しかも短期間に書き上げたものだと知ってショックを受ける。第二次英語ショックと言うべきものである。このショックを受けるのは今度はアメリカ人の教授のほうなのである。
 つまり第一次英語ショックは日本人留学生が受けるもの、第二次英語ショックのほうは日本人の学生が与えるものなのである。私はドイツでもアメリカでもこの現象を体験した。アメリカにおけるこの二重ショックの体験を、西氏もいきいきと書いておられる(西鋭夫「富国弱民ニッポン」広池学園出版部、平成八年)。特に優れた書く能力がすぐさま相手に尊敬心を起こさせることを、和田氏もご自分の体験から述べておられる。

 「知的生活を求めて」(渡部昇一)