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課題集 黄サツキ の山

○自由な題名 / 池新
○学校、危機意識 / 池新


★私の姓の「渡部」という(感) / 池新
 私の姓の「渡部」という字はどうも恰好よく書けない。父の書いたものは座りがよい。それでいつか字を本格的に習い直したいと思っていた。今からちょうど二十年前に、義父を通じて優秀な若い書家を紹介していただく機会に恵まれ、ほんの足代ほどの月謝で月三度、自宅に来ていただくことにした。それは今まで続いている。
 習い始めて十年目ぐらいになって、ようやく「渡部」という字が父の書いたものぐらいになったと思った。練習時間がなく、先生に来ていただいている間にやるだけだから、大して上手になるはずはないが、二十年もやっていると、他人の字の上手下手はよくわかるようになる。書くほうは上達しているとは言えないが、先生は「線が澄んできている」と言ってくださるので、やってきた甲斐は十分あったと思っている。天性不得意と思われる書道の練習がなぜ三十年間も続いているのか、その秘訣を述べてみよう。
 まず第一に、先生の人柄がよく、書や道具の鑑定に秀れておられることである。お人柄のことはしばらくおくとして、書や道具の鑑定に秀れておられることが私のような年輩と趣味の者には重要なのである。
 若いころは一冊十円の古本で買った岩波文庫本でも表紙の汚れたペンギン・ブックでも気にならないが、年をとってくると、版とか活字とか装帳などが気になってくる。それがわからないような人を「素人」と思うようにさえなる。
 私の書道の先生は、若いときから――つまり、今から二十年も前から――墨であれ、筆であれ、硯であれ、印であれ、紙であれ、書道に関する物にくわしく、鑑定眼が秀れておられる。テレビの「開運! なんでも鑑定団」に出てくる書や絵も、テレビを見ただけでたいてい真贋を当ててしまう。私も書物の形而下のことにはもっともうるさいほうだから、書道の形而下のことにも精通している先生を尊敬するのだ。字が上手なだけの人だったら、私がこんなに長く師事することはなかったに違いない。
 もうひとつは、「習い事」の本質と自分の弱点を私がよく知っていたことである。
 何かを習い始めるとき、人は昂揚した気分になって、稽古日が待ち遠しくなる。しかしそのうちマンネリになる。何しろ本業も忙しい。そして通うのをやめる。というのがお決まりのコースである。同僚でも一時、書道に熱心な人がいた。聞いてみると、通って習っているという。「そのうちやめるだろう」と思っていたら、一年半ぐらいでやめたようだ。本業の本を読んだり、論文を書いたり、外国に出張したりしていれば、必ず中断しなければならなくなる。そして中断はたいてい永断になるのである。
 そうならないためには、先生に来ていただくに限る。しかも、謝礼は必ず月謝にすることだ。都合が悪いときは休む。月に一度もやる機会がなくても、月謝はお払いする。人間はケチだから、回数で謝礼を払うことにすると、なんだかんだと言って、回数が減っていき、ついにゼロ回になって永断となるのがオチである。習い事は絶対に月謝でなければ続かない。
 それに余技でやることは、都合が悪いときは無理しないで休むことだ。二回や三回続けて休んでもよい、と思うことだ。そうでもしなければ、本業外の習い事が二十年も続くわけがない。
 禅の悟りでも「何がなんでも悟らねばならぬ」という決心自体が悟りの邪魔になると聞いたことがある。「始めた以上は決して休まないぞ」というと、かえって中断が永断になる可能性が高くなる。「都合の悪いときはいくら中断してもよいのだ」というぐらいに考え、中断しても月謝を払い続けていれば、間もなくもとに戻るものである。

 「知的生活を求めて」(渡部昇一)