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課題集 黄ヌルデ の山

○自由な題名 / 池新
○家 / 池新


★なぜ「定常型社会」なのか(感) / 池新
 なぜ「定常型社会」なのか? 基本的には、経済成長の究極の源泉である需要そのものが成熟ないし飽和状態に達しつつある、ということであるが、関連する重要な要因として次の二点がある。
 第一は、高齢化ないし少子化という動きと不可分のものとして、人口そのものが二〇〇七年をピークに減少に転じるということである。このこと自体、明治期以来わが国が百数十年ぶりに初めて経験する現象だ。第二は、環境問題との関係である。資源や自然環境の有限性が自覚されるようになり、経済活動それ自体の持続性ということを考えても、経済の規模の「定常性」が「要請」されるようになった。このように、定常型社会とは実は「高齢化社会」と「環境親和型社会」というふたつを結びつけるコンセプトでもある。
 さて、「成長」や「拡大」ではなく「定常型社会」ということを基本的な出発点とすると、私たちは多くのドグマや混乱から解放される。逆に言うと、「成長し続けなければならない」という大前提にとらわれているために、私たちはいかに多くのものを失い、また無用の落胆をし犠牲を出しているだろうか。ムダとしか思えないような公共事業や、それに伴ってどんどんツケとして回される将来世代への負担の話は言うまでもないし、もともと近年の不況も源をたどればバブル期において需要の実体がないところにマネー志向だけが拡大を続けたことが大きい。定常型社会ということを社会のコンセンサスとすることで、私たちは多くの意味のない政策から自由になることができるし、より重要なこととして、まったく新しいこれからの社会像や価値がそこに開けてくるのである。
 ところで、定常型社会というと、「変化のない退屈な社会」という印象をもつ人がいるかもしれないが、それは誤りである。「定常型」とはいわば物質的な富の総量が一定というだけで、たとえばCDの売り上げ総量が一定であってもヒットチャートの中身はどんどん変わっていくように、「質」的な変化は内包されている。要は「豊かさ」の再定義の問題なのである。もちろん、これからの時代は「変化しないもの(たとえば自然、伝統など)」にも価値が置かれていく時代である、ということも確認しておきたいが。
 また、定常型社会という理念に対しては、次のような根本的な異論もありうる。それは、およそ資本主義社会(あるいは若干視点を変えていうと市場経済)というものは「欲望の不断の拡大ないし追求」ということをその基本的な原動力とするものであり、定常型社会などという発想とは根本において相容れないものである、という主張である。たとえて言えば、「自転車のペダルを漕ぎつづける」こと――自動車のアクセルを踏みつづけると言うべきか――によって(かろうじて)維持されているのが資本主義社会であって、ペダルを漕ぐのをやめたとたん、それは倒れてしまう、だから「成長」という目標を捨てることはできないのだ、という反論である。
 一方、定常型社会ないし成長をめぐるテーマは単に理念のレベルにとどまるものではなく、政策の選択と緊密に結びついている。つまり、「景気対策か、財政構造改革か」という、近年政党の対立軸のひとつとなりつつある論点も、要はこの「経済成長」あるいは人々の「消費拡大」のポテンシャルをどう評価しまたそれに価値を置くかにかかっているのである。
 実のところ戦後の日本社会はこうした議論とはまったく縁のない世界に身を置くことができた。「成長」あるいは物質的な富の拡大ということがすべての究極的な目標となり、企業や官庁などを含む経済システムも、学校や家族を含む社会のあらゆる制度も、そして人々の価値観そのものも、「成長」という目標に向けて強力に「編成」され、また現にその目標を実現し続けることができたから(つまり消費を「拡大」し続けることができたから)、「すべての問題は経済成長が解決してくれる」と考えて間違いない、という時代が五〇年前後にわたって続いたのである。
 重要なことであるが、この「すべての問題」の中には、富の「分配」をめぐる問題が含まれる。個々人が得られる「パイ」ないし所得が増加を続けるのだから、分配というやっかいな問題をそれ自体論点にしなくとも人々はそれなりに満足することができるし、逆に言えば、政策も分配(ないし再分配)そのものに関心を向けたりするより、むしろとことんパイの拡大つまり「成長」のための方策を追求することが有効である――このように考えてこられたのが戦後日本社会だった。だから、「社会保障」という、欧米の先進諸国においては戦後の政党対立あるいは政治そのものの基本的な対立軸であった争点は、つい最近まで(あるいはおそらく現在でも)日本の場合、まったく中心的な争点とはなりえなかった。もっと言うならば、「富の成長」に関わるのが「経済」であり、「富の分配」に関わるのが「政治」だとすれば、端的に言えば戦後の日本には「政治」は事実上不要だったのである。「政治」が前面に出る唯一の舞台は安保や外交をめぐる論点に関してであり、内政つまり日本社会そのもののありように関するものではなかった。
 同時に、そうした時代にあっては、各人の富の拡大という「実利的な」現実が解決策となるから、たとえば「平等とは何か」「公平な社会とは何をもっていえるか」といった、「原理・原則」そのものについての議論は、せいぜいアカデミスム内部での思弁的な議論にとどまるだけで、現実の政策や制度とリンクするようなことはなかったし、そうする必然性もなかったのである。
 (「定常型社会」広井良典)