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課題集 黄ニシキギ の山

○自由な題名 / 池新
○ペット / 池新


★健康長寿が成功処世に(感) / 池新
 健康長寿が成功処世に必要なことはいうまでもないことだから、省略する考えであったが、近年あまりにそれが間違った方針に進みつつあるから、あえてここにその方針を是正したい。最近は医学や生物学の発達とともに衛生保健施設の普及発達しているにもかかわらず、国民が一般に病弱になり、また無病の人も根気が弱くなり、耐久力が衰える結果となった。
 明治維新前まで、われわれの先祖が驚くべき体力を持っていたことは、各種文書で見られるとおりである。歩行力に関しては一日に一五〇〜二〇〇キロ歩いた記録もあり、達者な飛脚は若干の荷物を肩にかけつつ、江戸から京都まで二日で到着するのが常であったから、まさにこれは一日二〇〇キロの歩行である。旧幕時代に日本を訪れた外人は、一様に日本人の耐久力に驚異の目を見張り、明治二十七〜八年日清戦争頃になっても、なお日本軍の行軍力の旺盛さは外国観戦武官の舌を巻かせたものであった。ところが今日は、位置が逆転して、日本人の方が欧米人の耐久力に驚嘆するようになったというのが掛け値のないところである。
 近く私の実見するところをあげると、私の祖父折原友右衛門は背は一七〇センチ、体重六十四キロくらいであったが、百姓の余暇に剣道を学び、免許皆伝であり、農耕にも今の人の三倍働き、その余暇に不二道孝心講の大先達(だいせんだつ)として修養慈善の行を勤めた。私も十五歳になるまで祖父に教導されたが、毎朝おそくとも五時に起きて冷水浴をなし、夜は縄ない、わらじ作り、その他の夜業をなし、その上になお読書や書き物をして十二時頃に寝るのが常だった。そしてさらに旅に出ると一日平均五〇キロくらいずつ歩くという健脚ぶりで、八十六歳で往生するまで無病息災であった。
 この祖父に育てられた私は、十一歳の頃から朝五時に起きて、草刈りで雑草一荷(か)ずつを刈った上、朝食して学校に行き、夜は家人とともにわら縄五束ずつをつくり終わってから、さらに二時間余り夜学をして、十二時頃に寝るのが常であった。十四歳頃にはかなりの体格になり、日中百姓や米搗(つ)きをして夜学に通うようになったが、今日の労働者のする八時間以上の労働をした上、二時間ずつの夜学に二キロの道を通い、帰ってまた一〜二時間復習をするという生活を続けたが、別に疲れもせず、四〜五時間眠りさえすれば、自然に目覚めて元気はつらつたるものがあった。
 なお私の知る学者の多くは、私以上に根気の強い人たちであり、私の恩師島村泰先生は、十五歳の時に太平記を全部写し取り、四書五経、左伝などは全部暗記していて、十九歳の時すでに岩槻藩校遷喬館の学長であった。ちなみに維新後の学生はたいてい英語の辞書まで写したもので、これを当今の学生たちの勉強ぶりに比較してみると、今の学生の怠惰が情けないようだ。
 とにかく日本人の体力が下り坂にあることは否み難い。各種の文明の利器の発達の結果、蛮的な力を発揮する必要がなくなったからだとあっさり片づけておくわけにはいかない。深くその原因を考えるに、まったくこれは現代日本人の陥っている「文化のはき違い」に最大の理由がある。
 はき違いとは、なんでもかでも野性を帯びたものから遠ざかることを文化だと考えることである。真の文化は決してそんなものでなく、よい野性はあくまでも保存し、かつこれを助長していくことにあるのだ。たとえば裸足で裸体で、幸福に暮らしていた南洋人に着物を着せたり、靴を履かせたりするのが文化であるように日本の多くの知識階級は思っているが、真の文化とは東京以南の地では年中裸体で暮らせるくらいの頑丈な皮膚を獲得することであるべきだ。また食物も完全に調理し、殺菌したものでなければ食わないのが文化であるかというと、実はどんな原始的食物でも消化でき、またどんな伝染病にでも抵抗していけるくらいの胃の腑を持つことが真の文化なのである。
 
 「自分を生かす人生」(本田静六著竹内均解説・三笠書房)より