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課題集 黄ニシキギ の山

○自由な題名 / 池新
○個性 / 池新


★筋肉労働ばかりでなく(感) / 池新
 筋肉労働ばかりでなく、あらゆる学問もまた、少しの努力によって容易にこれを道楽化することができる。私は米搗(つ)きをしながら独学して、東大農学部の前身であった山林学校にはいったが、ほかの連中は中学でやってきたのに、何しろ私は米搗き勉強で幾何や代数はやっていないので、これには大閉口、そのためとうとう第一学期に見事落第してしまった。そこで思いつめた私は、申し訳がないから古井戸にはいって死のうとしたが、米搗きで鍛えた片腕が途中の井桁に引っ掛かり、死に切れず、思い返して翌朝恥を忍んで島村泰先生のところに行って落第を詫びた。先生は、私が秋も末になって麦播(ま)きが済むと田舎から出て来て、翌春五月、百姓の忙しくなるまで毎年厄介になっていた恩師であり、学校の保証人でもあった。先生は、成績表をジーッと見つめておられたが、おもむろに口を開かれ、「幾何と代数の二科目が各四十五点ずつ、わずか五点ずつの不足で落ちたのはまことに残念だが、これくらい勉強して落第したのだから差し支えない。ビリッコで及第するよりも、もう一度はじめからしっかりやり直す方が将来のためだから、さらに大いに勉強するがよい。落第のことは、保証人たる俺に話しただけで、お前の役目は済んだ。お前の家にも誰にもいっさい話すことはならない」といって、その成績表をビリビリ裂いて紙屑籠に投ぜられた。そして先生は、それを奥さんにも誰にも、しかも永久に話さなかった。私は深く先生の言動に感激し、それからは死力を尽くして勉強した。幾何など一千題からある問題集を三週間ばかりで一題残らずやってしまい、次の学期からはいつも満点続きで、試験に出るのが楽しみになり、落第したほど不得手であった幾何学がついに道楽になってしまった。そして先生からは、お前は幾何の天才だから、授業には出ないでもよいとまでいわれた。その時私は、なぁんだ、それなら天才というのは努力のことだなと自覚したが、後にゲーテの天才論を読み、「天才とは何ぞや、勤勉是也」とあって、ゲーテも俺と同じことをいうておるわいと膝を打ったものだ。
 とにかくこの時の自覚、すなわち自分も一生懸命勉強さえすれば人並み以上の者になれる、少なくとも天才に近い人になれるという自覚が、ついに私の自己暗示となり、後に大した幸福を与えた。たとえば私は、学校を落第して半年損をした分を取り返そうと思って努力し、大学を七月に卒業するのを二月までに卒業論文を出してしまい、ただちに渡欧、四月からドイツの大学にはいった。そして七月には日本の大学を卒業すると同時に、ドイツの一学期を終わり、とうとう半年を取り返した。
 この体験から、努力ははじめは多少苦しくとも、これを続ければ必ずや面白く、道楽になるという確信を得たので、ドイツ留学中も大なる利益を得た。これは、ドイツ留学四年の予定が、銀行の破産で送金が途絶えたせいで、私は四年分の学課を二年間で卒業しようと努力を始め、予定の二年間に四年分の学課を残らず聴講、その間に学位論文も書き上げた。
 その際、財政学のブレンターノ先生は、ミュンヘン大学では、いまだかつて在学二年以下で学位を与えた例がないと反対されたが、私を贔屓(ひいき)してくれる先生たちが、とにかく論文が通過しているのだから、学術試験の上でできなければ落第させればよいではないか、と主張して私の受験を許可してくれた。その上贔屓の先生がわざわざブレンターノ先生の学科を十分にやれと注意してくれたので、ブ先生講義の種本である、エーアベルグの財政原論全部の暗記にとりかかった。はじめは一頁もできず、おまけに翌日はケロリと忘れたが、七日ばかり決死努力の結果、ようやく精神が集中統一されて記憶力がよくなり、二〜三度で十枚でも二十枚でも暗記でき、ついに三週間目に二百五十七頁一字残らず全部暗記してしまい辛くも困難なブ先生の口頭試問を通過し、次いで学位授与式の演説討論にも打ち克ち、ここにはじめて国家経済学ドクトルの学位を与えられた。これ実にドイツ到着の日から、丸一年と十一カ月目であった。
 その時学位授与式の演説には、一時間余ドイツ語の演説をするので、はじめは心配だったが、努力は必ず成功し、かつ道楽になるという確信から、デモステネスの故事に倣って、ミュンヘン大公園(イングリッシュガルテン)のイザー大滝の下で、積雪三尺の上に立ち、七日間、朝から晩まで弁当持参で練習した。はじめは滝の音に圧倒されたが、後には私が大声叱咤(しった)すると、滝の音がピタリと引っ込んで、天地万物ことごとく私の演説を謹聴するかと思われるようになった。かくて私は、安心して演壇に立ち、予期以上の成果を収め得たのである。以降私は、演説でも努力さえすれば、いかなる場合、幾千の聴衆にも、必ず謹聴させることができるという自信を持つに至った。今では演壇に立つと、非常に満足と愉快を感じ、演説が自分の道楽の一つになってしまった。
 
 「自分を生かす人生」(本田静六著竹内均解説・三笠書房)より