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課題集 黄ニシキギ の山

○自由な題名 / 池新
○ゴミ / 池新


★私の体験によれば(感) / 池新
 私の体験によれば、人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。職業の道楽化とは、学者のいう職業の芸術化、趣味化、遊戯化、スポーツ化もしくは享楽化であって、私はこれを手っ取り早く道楽化と称する。名人と仰がれる画家、彫刻家、音楽家、作家などが、その職業を苦労としないで、楽しみに道楽としてやっているのと同様に、すべての人がおのおのその職業を、その仕事を道楽にするということである。
 職業を道楽化する方法はただ一つ努力にある。あらゆる芸術と同じく、はじめの間こそ多少の苦しみはあるが、すべての歓喜も幸福も努力を通してはじめて得られることを自覚し、自分の職業を天職と確信し、迷わず専心努力するにおいては、「断じて行なえば鬼神も避く」とか、「精神一到何事か成らざらん」といわれるとおり、早晩必ず仕事がよくわかってきて上手になる。上手になるに従い、はじめは自己の性格に適しないかに思われた職業も、しだいに自分に適するようになり、自然と職業に面白みを生ずる。一度その職業に面白みを持てば、もはやその仕事は苦労でなく道楽に変わる。碁でも将棋でも、習いはじめで王手飛車取りなどに引っ掛かっている間はあまり面白くもないが、少しわかってきて、こっちからそれを掛けるようになると、面白くてたまらなく、ついに親の死に目にも逢えなくなるのである。
 かつて渋沢栄一翁が、埼玉県人会で、私がこの職業道楽説を述べた後に立たれて、「若い時自分の故郷に、阿賀野の九十郎という七十余になる老人があって、朝から晩まで商売に励んでいたが、あるとき孫や曾孫が集まり、おじいさん、そんなに働かないでも、家は金も田地も沢山できたのだからどうか伊香保へでも湯治(とうじ)に行って下さい、とすすめたところ、九十郎のいうには、俺の働くのは永年の癖で、まるで道楽なのだ、いまさら俺に働くなというのは俺に道楽をやめろというようなもので、親不幸なやつらだ。それにお前たちはすぐ金々というが、金なんか俺の道楽のかすなんだ、といわれたが、青年諸君は、本多君の説にしたがって、盛んに職業道楽をやられ、ついでにその道楽のかすも沢山ためるように」と説かれたことがある。読者のうち、何事かに成功された人は、きっとなるほどとうなずかれるにちがいない。いやしくも、成功した人は決してその職業を月給のためや、名誉のためのみでやってきた人でなく、必ずやその職業に趣味を持ち、道楽的に勉励した人に相違ないのである。
 実際、労働者でも、商人でも、学生でも、学者でも、百姓でも、その他いかなる職業でも、少し努力を続けさえすれば、必ずその職業に趣味を生じ、道楽化することができる。それは私が今日まで実行してきた数多くの実例で明らかである。
 私は埼玉県の百姓家に生まれ十一で父に死別、祖父に育てられたが、祖父はいわゆる地方の老農で、「学問すればものぐさになる、詩をつくるより田をつくれ、知らずば三畝余計につくれ」と常々いわれ、小さい時から働く習慣をつけられた。なかんずく米搗(つ)きは搗き終われば、そのあとで本が読めるので、十三歳の頃から米搗きを選んだ。しかし、はじめは苦しくて、もうどれくらい搗けたかと、踏台から下りて米を吹いて見てばかりいたので、熱が冷めてますます搗くのに手間どられた。そこでだんだん考えた末、傍(わき)の戸の桟(さん)の上に緩く糸を張りその間に本を広げて、搗きながら読むことにした。文章軌範などを片っ端から読みながら搗いた。幾度も読むうちに、「読書百遍義自ら通ず」で本が面白くなり、夢中になって搗き過ぎるまで白く搗いた。ついに米搗きは静六に限ると褒められ、私が全部引き受けるようになり、お蔭でいろんな本を暗記することができた。すなわち、米搗きのような機械的単調な仕事でも、努力を続けるにおいては、仕事そのものが道楽化するか、または、そうならなくても、これに関連して道楽になる方法が発見されるのである。かつて私が群馬県下に旅行したとき、不景気で機織女(はたおりめ)が遊んでいるから、この節は楽で面白かろう、何か唄でも聞かせてくれないかといったら、「ナニちっとも面白かァねェよ、わしらはハァ機を織りながらならうまく唄うべェが、ただじゃ唄が出ねェだ」と答えたが、実際機織女などは、その仕事をたいてい道楽化し、機の調子に合わせて唄うこと、あたかも芸者が三味線に合わせて唄うと同じで、機織を三味線化し、芸術化しているのである。
 とくに農林業や水産業は、もっと早く道楽化しやすい。栽培、耕種、漁獲などは、仕事そのものが創造の仕事で芸術的であるから、少しの努力でただちに道楽化し得るのである。
 
 「自分を生かす人生」(本田静六著竹内均解説・三笠書房)より