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課題集 黄ニシキギ の山

○自由な題名 / 池新
○本 / 池新


★とにかくどんな場合にも(感) / 池新
 とにかくどんな場合にも、健康なことが幸福の第一条件である。しかし、相撲取りが天下の幸福者ということのできないように、肉体ばかり立派でも、精神が健全で、知識が豊富でなければ真の幸福にはなれない。たった二間の裏長屋に貧乏暮らしをしていても、世界の図書を友として、心は千古の聖賢と語り、居ながらにして世界各国の事情に通じ得るのは、まったく知識の功徳(くどく)、幸福のゆえんである。本来迷いは無知から生じ、疑いは知識の裁断を必要とする。あらゆる考案工夫も、発明発見も、ただ知識の堆積の中から生まれるのである。
 実に知識の健全な発達は、すべての成功の要素となり、幸福の基礎となるのであるから、いわゆる健康とは、それを広義に解釈すれば、肉体並びに精神の健全良好な状態をいうのである。すなわち、肉体が健全なだけでなく、精神の健全――とくに教育修養による知識の健全を意味するものである。
 いったい精神は、脳髄および神経の機能として現われるものであるから、われわれはこの機能を積極的に鍛練する必要がある。鍛練とは、とりもなおさず脳および神経を筋肉と同じように完全に使用していくことである。
 いかに遺伝的素質がよいからといってこれを使用して反復練習しなければ、その素質は萎縮してしまう。西洋の諺にもあるように「才は天に受くとも、これを完成するは自修の力による」のである。聴くこと、知覚すること、考えること、抽象すること、倫理的美的観念を働かすこと、意志を働かすことなどはいずれも精神の使用であって、それを続けることによって、いよいよ精神力を増進するものである。
 だからいたずらに暖衣飽食、惰眠して、何も学びもせず、考えも工夫もせず、ぼんやりして暮らす人は、ついに精神が退化して愚人になるか耄碌(もうろく)するほかはない。
 人間の欲望にはいろいろな種類と程度があり、かつ人と場合によって一様でない。
 「いつも三月花の頃、女房十八、わしゃ二十、死なぬ子三人皆孝行、使って減らぬ金万両、死んでも命のあるように」という具合で人間の欲望にはきりがない。人によってはむやみに金持ちになりたがる者があり、ごくごく欲の深い人は――とくに強欲の高利貸しなどになると、打ち首にされた時、懐から落ちかけた財布を首のない手でつかんだという話があるくらい金を欲しがる。
 そうかと思うと、金の不寝番に苦しんで、しきりに貧乏の心安さを羨む者もある。たとえば、強盗が流行すれば、金があるために毎晩おちおちと眠ることもできず、睡眠不足、神経衰弱に陥り、どうか一晩でもよいから安心して寝られるようにと、しきりに貧乏人の気楽さを羨む人も出てくる。また平素病弱な人は何よりも身体の丈夫なのを望み、子のない人は何よりも子宝を願うというように、人は現在自分に満たされたもの、満たされた境遇には満足せず(すなわち幸福を感じないで)、かえって自分の持たないもの、持たない境遇を欲しがる傾向がある。
 また同じものでも、古いものより新しいものを欲しがるいわゆる好新性というものがあって、それが一面においては進歩発展の動機とはなるが、時にはこの好新性を乱用して、畳と女房は新しいに限る、取り換えるほどよいなどという、不心得の望みをいだく者もある。もっとも、もはや前途に影の薄い老人になると、書画骨董、なんでも古いものを好む欲望も出てくる。
 さらにまた、同じことを同じ人が先には幸福だと感謝したのに、後には不幸だと託(かこ)つようなこともある。あの大空襲によって、焼死の災を免れて何より命の助かったことを幸福に思い、感謝した人がその後再起できず、いっそあの時ひと思いに焼け死んだ方がましだったと、嘆き悲しむことも少なくない。これなど同じ事態をはじめには幸福と感じ、後には不幸と感じた事例である。
 かつて京都円山の大火事の際に、多くの人々が泣き叫びながら家財道具をかついで逃げまどうのを、四条の橋の下を定宿とする親子連れの乞食が眺めていたが、やがて子乞食が、「ちゃんや、俺たちはこういう時にも、安心して寝ていられるから仕合わせだね」というと、親乞食は、この時とばかり得意そうに、「それもみんな親のお蔭さ」と答えたという笑い話がある。
 また「番町で目明き盲人に道をきき」とうたわれた塙保己一が弟子たちに講義中、フッと灯火が掻き消えたのに狼狽する弟子たちをしりめに、「さてさて目明きは不自由なものじゃ」といったのも有名な話である。実際、時と場合と気の持ちようしだいでは、金持ちより乞食の方が、目明きより盲人の方が安楽で幸福だと感じられることもないではない。しかし、ごく少数の人を除いた一般人の欲望は、まず世間並みに生活することにおかれているから一般的普通の幸福とは世間並みの生活をしつつ、その上に欲望の満たされる状態であるというべきである。
 
 「自分を生かす人生」(本田静六著竹内均解説・三笠書房)より