課題集 黄ナツメ の山
苗
絵
林
丘
○自由な題名
/池
池新
○地域社会
/池
池新
★笑う(感)
/池
池新
私は、世間を見て笑う。
私は、今日一日を、笑いで塗りつぶそう。夜を歌で縁どろう。私は、無理に幸せになろうとする努力はやめて、むしろ、悲しみに浸っている暇もないほど、忙しく働こう。
だが、楽しむときは楽しむべきだ。私は、今日の喜びは、今日楽しむ。喜びは穀物ではないから、箱の中にためておけるものではないし、ワインではないから壷に入れて蓄えておくこともできない。喜びは、明日のために、とっておけるものではない。それは、種を蒔いた同じ日に刈りいれられるものなのである。これより私は、喜びをその日のうちに取りいれる。
私は、世間を見て笑う。
私の笑い声は、すべてのことを適切な状態へ引き戻してくれる。私が、自分の失敗を笑えば、その悪夢は、新しい夢の雲の中に消えていく。私が、自分の成功を笑えば、その成功は本来の大きさまで縮んでくれて、私を誇大妄想から救ってくれる。悪を笑えば、その悪は、味わわないうちに、消えてなくなる。善を笑えば、その笑いは、周囲を豊かにし、繁栄させる。
私の微笑みが人びとの微笑みを引きだすとき、勝利はすでに、わが手の内にある。これは、純粋に私の利益のためであると言って、私ははばからない。なぜなら、私が顔をしかめていれば、誰も、私の商品を買ってはくれないからである。
私は、世間を見て笑う。
これより私は、汗は流しても、涙は流さないようにする。なぜなら、自責の念や悔しさは、市場においては、なんの価値もないからである。なぜならば、市場とは、微笑みは黄金に変わり、心からの優しい言葉は、繁栄の城を築いてくれる場所だからである。
私は、自分がいかに偉くなろうと、賢くなろうと、強大な権力を得ようと、自分と世間を笑うことをけっして忘れまい。
私は、心は子供のままでいよう。子供であれば、他人を見あげる気持ちを失うことはあるまい。他人を見あげているかぎり、私は、自分自身を過大評価することはないだろう。
私は、世間を見て笑う。
私は、笑えるかぎり貧乏になることは絶対にない。笑いは、自然の与えてくれた最大の贈物である。私は、それを無駄にはすまい。
笑いと喜びがあるかぎり、私は必ず成功する。笑いと喜びがあってこそ、私ははじめて、労働の成果を楽しむことができる。笑いと喜びなくして成功するなら、むしろ失敗するほうがマシである。なぜならこの喜びとは、食事を美味しくするワインのようなものだから……。成功という食事を楽しむためには、喜びというワインがなければならないし、笑いというウエイトレスのサービスが必要なのである。
私は喜ぶ。
私は成功する。
私は、かつてなかったほど偉大な商人となる。
「地上最強の商人」(オグ・マンデイーノ)より