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課題集 黄クリ の山


○ペット / 池新
○自由な題名 / 池新
○「環境サミットとか」を読んで / 池新
○「現代の科学技術の」を読んで(感) / 池新
 一九九九年という年は、二〇世紀の最後の二年間にあたる。この一年間に、いったいどういう現象が起こるのだろうか。
 一部では、世界恐慌必至という意見が盛んに唱えられている。また、現実の問題として、世界経済全体の運営の基盤に、九八年に比べてかなり脆弱な側面が目立ってきたという指摘も繰り返されている。
 最大の問題は、いわゆる「投機化」現象が世界全体いたるところで発生し、この「投機化」をどのようにして阻止し、経済の運営を安定した方向に転換させるか、その方策をめぐる議論がまとまった結論をもたないまま、世界全体に盛んに流布されているという点である。
 例年一月末から二月にかけてスイスのダボスで開かれる世界経済会議でも、この問題が盛んに論じられた。その議論の最大のポイントは、俗にいうヘッジファンドというかたちの大規模な投機資金の活動をどのようにして抑制し、統制することが可能であるかという点にあった。
 現実の問題として、市場経済自由経済体制を堅持している限り、投機はそのなかに完全に組み込まれている。逆にいえば、投機は自由経済、市場経済にとって一つのシンボルであり、それを全面的に禁止するということは、すなわち市場経済、自由経済体制の否定につながっていく。
 したがって、九九年の世界経済にとって大事なことは、徹底して投機を否定することではない。一定の範囲を超えるあまりに激烈な投機を国際協調のなかでどのように抑制し、制限の範囲内に持ち込むか、この見通しが立てられるかどうかである。
 この問題に、政府当局者、企業経営者、さらには経済学者、ジャーナリストを含め、誰もが応えていかなければならない。
 ヘッジファンドにしても、決して理由なき投機を行うことはありえない。無謀な投機を行えば、その結果としてヘッジファンドは巨額の損失を被って、解体、消滅してしまう。
 経済的合理性に欠ける投機は、どのような場合でも、とくに市場経済、自由経済体制のもとにあっては絶対に存立を許されない。
 ヘッジファンドの経営者たち、運用者たちが、どういう理由でどこに投機の種を見つけるか――。それはまず第一に、現実と制度とのずれである。
 どちらが強いか――。いうまでもない、現実が制度よりも強い力を発揮する。
 したがって、古くなり、時代遅れとなった制度にこだわっている場合には、その制度に対する攻撃を徹底した力で仕掛けるのが、投機の成功を保証する唯一の方法といって間違いない。
 九七年七月の東アジアの通貨危機、さらにまた九九年に入って本格化した中南米の通貨危機、これらにはいずれも共通した要因がある。すなわち、制度と現実とのあいだのずれを投機資金が突いたということである。これは必ず成功する可能性あるいはまた見通しのある投機であり、それはまた市場経済のもつ徹底した合理性を、どの国も重視し、受け入れ、かつまた尊重しなければならないことを示している。
 ヘッジファンドなどの投機は、この選択を現実の市場の変化を通して強要してくるものにすぎない。言い換えれば、現実とずれの生じないような不断の制度の見直しと改革こそ、投機がつけ入る隙をつくらない唯一の方法なのである。政治が、現実と制度のずれを認識し、そうした事態が発生すれば即座に徹底的な制度の改革を率先して断行し、投機筋のっけ入る隙をつくらないことが、もっとも肝要かつまた重要なのである。
 
 (長谷川慶太郎「価値逆転」)