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課題集 黄クリ の山

○自由な題名 / 池新


○ゴミ / 池新
○「一九七九年」を読んで(感) / 池新
 私たちのスタッフに帰国子女が何人かいる。経営者として彼女たちを見ていると、日本の教育というのは、欧米に比べてまだましだと思えてくる。
 彼女たちに聞いたところではオーストラリアとかアメリカでは、いわゆるクラスというのは、出席を取ったら十五分間くらいで終了して、あとの授業は、それぞれの科目の教室でやるのだそうだ。日本のような風紀委員だとか給食委員、美化委員、あるいは文化祭の実行委員とか体育祭の実行委員とか、そういった集団生活をリードする役割というのはないらしい。
 生徒はみんな、それぞれ個別に先生とのつながりでやっている。友達同士が集まってパーティをしたりはするが、それも個人的な関係で、集団生活とは関係がない。唯一、集団的な活動はスポーツクラブである。スポーツクラブのキャプテンになれば、人を束ねたりする中で、責任感とかりーダーシップとか、そういったものを身につけることができるのだろうが、それ以外、基本的には、学校の中にそういうシステムはない。
 そのせいか、帰国子女は、個別に言われたこと、命じられたこと自体はできるのだが、全体として仕事を把握する能力に欠けているケースが多い。チームワークを保つ能力がなかったり、命令系統の中でどういうふうにしていけばいいかがわからないのだ。
 中にはできる人もいるが、そういう人はたいてい家庭でしつけられたり、体育系のクラブ活動を運営した経験を持っていたりする。つまり、学校以外のどこかで、チームワークとか組織の学習をしているわけである。
 欧米諸国では、日本と比べて、そうした学校教育が足りていないのは事実であろう。日本でも、そういった面での学校教育が足りないと言われてはいるが、欧米やアジア各国に比べれば立派なものである。
 男性でも女性でも、日本国民の大多数はそういう教育を受けた人たちである。その中でも、高校時代にきちんとやった人は、会社とかチーム、組織の中で、かちっとした組織力、チームワーク、会社人としての素質、才能、能力を身につけている。これが日本の教育のいいところだと、私は思う。
 中小企業のオーナーはとかく後継者問題に悩みがちである。しかし、悩む必要はない。日本の教育のいいところをフル活用すれば、自然と後継者は育ってくるのだ。
「お前にはちゃんとした一流大学に行かせたい。だから、他のことは考えなくてもいい。とにかく勉強せい、勉強せい」
 と勉強させて一流大学を出ても、いざ自分の会社の後を継がせたら全然だめだった、というケースをよく耳にする。なぜ、期待したとおりに育たないのか。それは、高校時代を怠けたままに過ごしたからである。
 中小企業のトップに求められる人物像とは、どのようなものだろうか。自分自身を振り返ればよくわかるはずである。もちろん、組織力も分析力もある明晰な頭脳も必要だが、それよりも大切なのは強力なリーダーシップである。
「従業員、それーっ、三々七拍子で行こう」
 といった、応援団長のような力強さと指導力。これが中小企業のトップに求められる第一の要件なのだ。だから、自分の息子を育てるに当たって「勉強しなさい」と叱咤するのも必要だろうが、
「クラスの委員をやりなさい」
「クラブに入って最後までやめず、キャプテンになってチームワークやリーダーシップを学びなさい」
「生徒会に立候補しなさい」
「応援団に入って、応援団長になって、みんなを励まし引っ張っていくような人間になりなさい」
 と言うことのほうが大切なのだ。
 組織運営していく能力や人格を身につけるためには、結局のところ、中学時代、高校時代に生徒会の委員を務めるか、運動クラブをやるか、クラブでもお世話係を率先してやったほうがずっと役に立つ。会計係でもいいし、書記でも、雑用係でも何でもいい。生徒会をどう運営するのか、文化祭をどうするのか、体育祭をどうするのかと考える癖をつける。ああでもないこうでもないと企画立案し、運営し、実行し、そして後片付けをする能力を身につける。
 これこそが、会社経営の勉強である。
 
 (深見東州「中小企業の経営の極意」)