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課題集 黄クリ の山

○自由な題名 / 池新

○「商社マン」を読んで / 池新
 すべての文化の基本は母国語にある。
 学問的にはもうずいぶん前から指摘されていて、教育界では「考える力の復権」が主要テーマになっていた。「考える力」の根幹をなすものは、当然のことだが、母国語の力、それも読解力だ。
 それを受けて、文部省の学習指導要領の改定でも、「考える力」を養成することと、その方法としてのメディアリテラシー(コンピューター・ネットワークを使いこなす能力)が大きなテーマとなっている。これまで、画一的、金太郎アメ状態の青年を生み出してきた教育方法・受験制度への批判と反省からだ。とりわけ、日本の将来を憂える産業界からの批判は強烈だった。そのことを端的に裏付けるエピソードがある。
 たしか読売新聞の記事だったと思うが、それによると、一部上場企業の管理職・経営者の国語力をテストしたことがあったそうだ。古文、漢文、現代文の論旨要約だとか空欄補充だとかの試験、それを管理職や経営者にやらせたのだ。テストが終わってから、役職別の平均点を出してみたら、じつにみごとなまでに、役職による国語力の差が明らかになったという。すなわち、係長クラスが65点、課長クラスが70点、部長80点、取締役85点、社長90点、会長95点であった。
 いかがだろうか。地位の差とは、まさに国語力、読解力の差なのだ。決断をしたり、懸案事項を解決する立場の人は、考える力が深くて広く、頭の回転が早い。それを見識と言うのだろうが、もののみごとに結果が数字にあらわれている。
 もう一つ面白いものに、イギリス銀行協会の調査結果がある。イギリスで頭取になっている人は、どんな人物なのかという調査を行なったところ、シェークスピアをこよなく愛している人が一番多いという結果が出たそうだ。計量経済の専門書でもなければ、財政論の専門家でもない。
 シェークスピアの作品は、人間のよしもわるしもわかったうえで人間を肯定的に見ている。そのシェークスピアを鑑賞し、読解し、愛するだけの中身がある人でなければ、イギリスでは銀行の頭取にはなれないということだ。そこがじつに面白い。
 専門的技術的なことは、コンピュータや技術者に任せればいい。経営トップに求められるのは、考える力、咀嚼力、国語力、読解力である。年をとってそれが衰えないというのは、目に見えないところで、それだけの努力をしているということなのだ。それこそが、経営者として、社長としての努力の責任である。
 ところで、読書のペースだが、できれば一日一時間。できなければ三〇分でもいい。朝でも夜中でも、とにかく毎日頭を強くする、易しくない本を読むようにしたほうがいいと私は思っている。
 一日三〇分、ばかにしてはいけない。酒を飲んで帰っても、日中どんなに忙しく疲れていても、必ず一日三〇分、本を読む習慣をつける。すると、月三冊から四冊は読めることになる。年間で三六冊から四八冊。五年もたてば、軽く本箱一杯分の読書量になる。まさに「塵も積もれば山となる」である。
 
 (深見東州「中小企業の経営の極意」)

○本 / 池新