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課題集 黄ケヤキ の山

○自由な題名 / 池新
○春を見つけた、種まき / 池新


★だから、今まで自分だと(感) / 池新
 だから、今まで自分だと思っていた肉体は、自分ではありゃしない。自分という気体が生きるための必要な仕事を行う道具なんだ。
 心またしかり。
 どんなあわてん坊だったって、道具がそこに転がっているときに道具が本物だとは言わないだろう。たとえば、絵かきが絵筆をそこへおっぽりだしているとき、そこへ飛んで出てきて、「あ、絵かきがここで寝てる」とは言わないよ、なあ。ノミやカンナがそこに置いてあるとき、「大工、ここでサボってるな」とは言いませんよ。
 それを、人間の場合だけはだね、大工のカンナに等しく、絵かきの絵筆に等しい肉体を、よろしいか、自分だと即座に思っちまう。この思い方を本能階級的自己意識と言う。もっとむずかしい言葉をつかうと、肉体に表現する我(が)の片鱗を自分の全体だと思う思い方。
 これは、猫や犬よりもまだ劣ってるのよ。猫や犬はね、いやさ、人間以外の動物や虫けらは、自分の肉体を自分だと思う自己意識もないのです。それはありゃしませんよ。だって、彼らには理性的精神がないんだから。
 ともかくも、ほんとうの自分は見えない気なんです。それを、自分でない自分を自分だと思っちゃっているから、そこにとんでもない過ちができちゃって、たとえば、自分が腹が痛いとき、あなた方は「あたしのおなかが痛い」とこう言いますよ。ほんとうを言ったら、そうじゃないんだよ。あなた方の生きるために必要な道具の腹のところが痛いのを、心があなた方に報告しただけなんだ。「あのう、お道具のおなかのところがただいま痛んでおります」といったのを、あなた方がヒョイと感じた。
 ほんとうからいったら、隣の人が腹が痛いのと同じような気持ちで、自分の腹の痛いのを感じていれば、早く治っちまう。それを、自分が腹が痛いと思っちまう。
 それだから、何したってなかなか病の治りは遅い。私が喀血してる、私が熱があると思っていたから。そうじゃないんだ、よく考えてみれば。私の体の肺に黴菌(ばいきん)がついて蝕んだために、ときどき結合が破れてそこから血が出て、それで熱があると心が感じて、それを私の気に報告しただけなんだ。
 ということがわかってから、こんど気楽になっちゃった。直接的に自分が患っているんじゃない。おのれの道具がそうなっているんだから、道具を心配しないで、道具を治す方に一生懸命にかかればいいんだ、と。心配がなくなったら、ひとりでにぐんぐん治る病は治ってくるに決まってるという真理によって治っちゃったわけだ。気にしてるときには、注射だ、薬だ、いくらやったって治りゃしない。
 「成功の実現」(中村天風著)