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課題集 黄ケヤキ の山

○自由な題名 / 池新
○雪や氷、なわとび / 池新


★私にいろんなことを相談しに(感) / 池新
 私にいろんなことを相談しにおいでになる人がある。どんな人が相談にきても、私が消極的な答えをしたことありますか。このあいだもあそこにいる渡辺君が、
 「こんど新しい仕事を始めたんですけど、どうでしょうか」と僕に言うから、
 「そんなことは、俺に聞くことはねえだろう。自分のする仕事は自分で決めろ。けれど、自分でどうすりゃいいかわからないということなら、しないほうがいい」
 ちょいと聞くと、いかにも薄情のように聞こえるけれども、これが本当でしょう。右に行こうか左に行こうかと決定できないことを人に聞くことがあるかい?
 自分が行くんじゃないか。相談する相手があるから相談にきたと言っちまえば、身も蓋もないけれども、誰れもいなかったらどうするんだよ。天涯孤独、右見ても左を見ても誰れもいない時に、右に行こうか左に行こうかなんて相談することはできないじゃないか。天に向かって呼びかけたって返事をしないもの。
 だから、その時私が、「自分で考えて、考えきれないことはするな」と言ったんです。「わかりました」って。やっぱり会員だけあってよくわかるわ。
 それをもう、「ああなったらこうなりゃしないか、こうなったらああなりゃしないか、ああなるとペシャンコだ」。ペシャンコが結論に出るぐらいなら、そんなことを考えなければいいのを、それをもう、年もとっていないのに世迷いごとみたいに愚痴を言っている奴がいるね。
 けっきょく、言葉っていうものはおっかないもんなんだから、できるだけ晴ればれとして、言いながらも自分の気持ちが何ともいえないうれしさを感じるような言葉以外のものは吐きださないこと。ですから、私は「だめだよ」と言ったことはないでしょう。「やる気があんならやれっ」と。「大丈夫でしょうか」「大丈夫かと聞くんならやめろ」。
 病にかかって私のところへ相談にきても、「これ、だめだよ」と言ったことがあるか?どんなにひどい病にかかっても、「元気出せっ。俺も一生懸命力をやるから、貴様も自分の力で生きろっ」と。その時、「ああそうですか」と思ってくれて信念ができた人間は、驚くべき長生きをするじゃないか。
 人間の気持ちというものは恐ろしいもんなんだよ。僕らもしょっちゅうそれで経験しているがね。医学上から見れば助からないような病にかかっている人間の枕もとに行っても、医者が元気のある積極的な態度のときには、その人間の容体がずーっと良くなっちまうんだぜ。私なんか、それで危篤になっている人間をどれだけ助けているかわからない。「さあ、心配すんな。俺がきたからもう大丈夫だから。いいか、ただ俺がな、もう駄目だと言ったら覚悟しろ。けど、俺が駄目だと言わないかぎりは大丈夫だから」と言うと、もうずーっと勇気が出てくるんです。
 私はいつも言うんだ。積極的な言葉のみをつかって生きている人が多くなれば、この世は期せずしてもっともっと美しいりっぱな世界になる。だから、どんな場合があっても消極的な言語表現をしないように気をつけなさいよ。
 「成功の実現」(中村天風著)