昨日277 今日402 合計154280
課題集 黄ケヤキ の山

○自由な題名 / 池新
○節分、マラソン / 池新


★昔はね、今と違って(感) / 池新
 昔はね、今と違って物質生活よりも精神生活をおこなっていた時代が相当長く続いていました。そういう時代の人間は、もちろん科学が進歩していませんから、心理学というような方面からの研究じゃなかったかもしれないけれども、理屈ぬきで、事実で知っていたんだなあ。夜の寝際(ねぎわ)の心持ちが大切だってことを。だから、今の時代にはないことですが、我々の幼少時代には必ず、じいさんなり、ばあさんなりが、夜の寝際の添い寝をしながらお伽噺(とぎばなし)というのを聞かせてくれたものなんだよ。
 桃太郎、かちかち山、八幡太郎(はちまんたろう)っていうような話をね。
 「三つ子の魂百までも」と言うが、幼少のおりに聞かされた話というものは、要するに潜在意識のなかに強烈にインプレス(刻印)されてますものねえ。
 私が初めて満州で真剣の勝負をしたのは十八歳の時であります。
 錦州城(きんしゅうじょう)と九蓮城(きゅうれんじょう)の偵察の任務を、参謀本部からおおせつかった河野金吉(こうのきんきち)という人の鞄持(かばんも)ちして十六歳の時に今の満州へ入り込んだわけなんだ。そうして、生まれて初めて真剣の前に命のとりやりをする土壇場(どたんば)に立たせられた。ほとんど無我夢中ではあったけど、その時フウーッと私の気持ちのなかに、小さい時、毎夜毎夜、耳にたこができるほど聞かされた、私の爺(じい)の言葉をヒョイッと思い出したんです。
 私の爺というのは初代の柳川藩主伯爵立花鑑徳(かんとく)で、私の幼少の名前は三午(さんご)といった。それは午(うま)の月の午の日の午の刻に生まれた、その三つの午というので三午という名前だった。それではねっ返りかもしれませんけれどもね。
 さて、その爺は夕飯の場合には必ず四つも五つもお膳を並べて、腰元が三人もかしずいて晩酌の楽しみを毎晩やることになっています。そうすると必ず私が呼び寄せられる。で、言うことがもう紋切り型、判で押したようなことを言うんです。
 「そちの好めるものを食(しょく)せ。もっと近(ちこ)うまいれ。よく眼をすえて爺の額を見ろ」
 額に三日月型の刀傷があるんです。それが自慢なんです、私の爺というのは。
 「これは戦場出途(しゅっと)の往来によって受けた男の誇りの向こう傷じゃ。よくうけたまわれ。男が戦う際は腕じゃないぞ、度胸だぞ。いかに腕前が優れてるといえども、度胸がなければ必ずその戦いに負ける。爺が何べんものう、戦場を往来しても、この傷だけでもって命を全うしたのは、自慢をするわけじゃないが、しいだま(=度胸)があったからじゃあ。いざという時は度胸ぞ」
 これが必ず、爺が私にいう毎晩の言葉なんです。もう毎晩ですから知っているんです。
 「近うまいれ、好めるものを食せ。眼をすえて、よくこの傷を見い」
 もうちゃんと何もかも知っているんだ。こっちはとにかくお膳のものを食いさえすればいいんだ。
 何のこともなく思っていた、むしろ、毎晩毎晩の話を飽きっぽく聞いていたやつが、こんど真剣で命のとりやりをする時です。いくら偉そうなことを言ったって、初めての命のとりやりというものはね、もう生きた気持ちのあるべきものじゃないんですぜ。もしも、「俺は初めての斬りあいの時だったって、何もかもはっきりしていた」っていう奴があったら、そいつは嘘ですよ。何がどうなったんだか、ちっともわかりゃしないんだ。殺されちゃたいへんだと思うからね。一尺足らずの仕込み杖を抜いて構えは構えたものの、震えてんだか動いてんだか息してんだか生きてんだかわかりゃしない。
 それで雲をつくような男が青龍刀ブンブンふり回して、デモンストレーション(示威)がすこぶる派手なんですからねえ、満州の馬賊って奴は。
 その時フウッと……思ったんじゃないよ、思わないで頭の中に出てきたんだ。
 「真剣の勝負は腕前じゃない。度胸だぞ」って。
 「成功の実現」(中村天風著)