昨日394 今日402 合計153156
課題集 黄カキ の山

○自由な題名 / 池新
○服 / 池新


★一九九七年のアジア株式市場の(感) / 池新
 一九九七年のアジア株式市場の暴落は、七月の通貨危機から始まり、急速に周辺の国々へ波及した。香港、シンガポール、台湾、韓国と一つ一つ過熱しすぎた市場が暴落した。これらはすべて、その急速な産業発展により、「リトルタイガー」と呼ばれていた国々である。後になってそのリストには、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンの四ヵ国が加わった。これらは「ベビータイガー」あるいは「アジアの幼獣」とも呼ばれる。この四ヵ国のリトルタイガーと四ヵ国の幼獣あるいはベビータイガーを合わせた八ヵ国を、「アジアのタイガー」と呼ぶことにしよう。
 ちなみに中国は、一九八〇年代および一九九〇年代に世界で最も急成長を遂げたが、国が巨大なため、このリストには含まれていない。また、アジアのタイガーたちの成長率は確かに驚異的だが、人口も多く、早いスタートを切った日本が、未だにアジアで圧倒的な経済力を誇っていることを明記しておこう。
(中略)
 アジアのタイガーたちには、言語や文化の違いこそあれ、急速な経済発展をもたらした共通の特徴が見られる。韓国はタイガーたちの中で最大の国である。韓国経済はベビータイガー四ヵ国全てを合わせたのと同じ大きさである。八つのタイガーのうち、香港とシンガポールの二ヵ国は、自由貿易政策をとっているが、他の国々は、程度の差はあるものの、保護主義政策をとっている。しかし、八ヵ国のほとんどは、貯蓄率が高く輸出志向の発展戦略をとってきた。輸出依存度に差はあるものの、ほとんどの国がアメリカに対しては貿易黒字である。輸出集中型の経済戦略を、自由貿易と取り違えるひとがいる。実は両者は非常に異なっている。自由貿易は、輸入に対する関税が低いかゼロである。すなわち、自由貿易とは輸入志向の政策であり、それが必ずしも輸出主導型発展と組合わされるとは限らない。実際、タイガーたちのほとんどは、自由貿易経済というより、輸出主導型経済である。この戦略は表2(略)からも明らかなように、異例の高い成長率を実現させた。
(中略)
 結論は明らかである。タイガーの経済は、インドネシアとフィリピンを除き、一九六〇年代半ば以来、輸出志向の発展戦略をとってきた。彼らは全般的生活水準の向上に見事成功し、インド、ブラジル、メキシコのように国内での独占企業に依存して高度成長の環境を生み出した発展途上経済よりも、ずっとよい業績を上げてきた。インドやラテンアメリ力は輸入抑制の政策を採用し、国内生産品を輸入品にとって代らせた。彼らはアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの歴史にならったのだ。これらは一九世紀、関税と輸入代替政策の傘の下、先進経済国になった国々である。しかし、インドやラテンアメリカが忘れてしまったのは、欧米の先進経済は高関税を取ったのみでなく、国内産業同士の厳しい競合をも奨励したので、外国との競争はほとんどなくても、地元の企業同士の活発な競争が行われた、ということだ。
 タイガーたちの驚くべき経済的成功をみると、保護主義は悪い政策ではないが、保護主義と国内独占企業の組合せが問題となることがわかる。日本は保護主義政策をとって非常な成功を遂げ、その経済を、第二次世界大戦による完全な荒廃から、たった四十年間で産業大国へと転換させた。この成功の秘密は、激しい国内競争の環境の中での輸入代替であった。
 最終的に本当に重要なのは競争である。人口の多い国は、大規模な工場による効率的な生産を享受するために、輸出市場を必要とはしない。だから日本、インド、ブラジルなどは外国市場は必要ないが、国内競争が必要なのである。
 しかし、ほとんどのタイガー諸国のような人口の少ない国にとっては、輸出市場が必要であり、輸出志向の戦略が好ましい。結局、アメリカも、一九世紀、工業製品に対して最高一〇〇%の関税をかけ、六〇年間ほどのうちに世界の主要産業国となった。その過程で保護主義をとったアメリカは、産業革命のレースで一足先にスタートを切り、長いリードを保っていたイギリス、フランス、ドイツなどの経済を打ち破った。
 
 「株式大暴落」(ラビ・バトラ)たちばな出版より