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課題集 黄エニシダ の山

○自由な題名 / 池新
○寒い朝、体がぽかぽか / 池新


★退行催眼を使った実験では(感) / 池新
 退行催眼を使った実験では、こんな例もあります。
 Fさんは二二歳。五二歳になるお父さんとの関係は最悪でした。Fさんは父親をむしろ憎んでいたのです。子どものころ、お父さんの厳しいしつけで育ったのが、その原因でした。
 Fさんのように、両親から十分な愛情を受けて育たなかった人は、心の成長が止まってしまいます。いわゆるアダルト・チヤイルドです。心は子どものまま、肉体だけが大人になった状態……といってもよいでしょう。
 そしてお父さんがわが子を愛せなかったということは、父親自身もまたアダルト・チヤイルドであり、その父親を育てた祖父もまた、アダルト・チヤイルドだということになります。
 そこでFさんには、そんなお父さんを許してあげるよう指導しました。お父さんを許してあげると、不思議なことにお父さん自身の心まで成長しました。許しを受けたお父さんの心が成長し、アダルト・チヤイルドからワンダー・チヤイルドに変わってしまったのです。
 するとこのお父さんの心は祖父にまで感化して、おじいさんも変わってしまいます。つまりその人が変わるだけでなく、家族まで変わってしまうのです。
 それからさらに不思議なのですが、こうして心を成長させたあとのFさんの「前世」をもう一度呼び出してみると、なんと前世まで変わっていたのです。
 最初の前世実験ではFさんは(お父さんの生まれ変わりでそのときは)友人とある女性をめぐっての恋敵(こいがたき)でした。非常に友人とは仲がよかったわけですが、Fさんは卑怯にも抜け駆けをしてその女性を娶(めと)ってしまったのです。
 その後は宿敵のようになり、お互いが死ぬまで恨みあった人生を送ったのです。しかし、現世でのお父さんを許すことにより、Fさんやお父さんの傷ついたインナー・チヤイルドを解放することをしたのち、再び同じ過去世に戻したところ、Fさんは友人(お父さんの生まれ変わり)に祝福されながら、女性と結婚し、友人とも最後まで良い友として終生つき合ったという結果に変わってしまいました。
 このことは何を伝えているのでしょうか? 皆さんはカルマを負って前世を遡ろうとしています。しかし実はカルマは現在のあなたがつくっているのではないでしょうか?
 カルマは過去で治すのではなく、いまのあなたが治すのです。このことはさらに別の章でも再度とりあげます。――中略――
 カルマとは、たとえばYさんが、頭が痛くて仕万がない。
「この頭痛の原因はなんでしょう?」と相談すると、
「それは前世の因縁です。あなたが前世で武士のとき、誰かの頭を槍で刺して殺してしまった。その業がいまきているのです」
などといわれるでしょう。なんともおどろおどろしいものです。非常に人間的な勧善懲悪の世界です。(すなわちサムシング・グレイトな世界ではない)
 前世療法はいわゆるカルマ探しに通じるところがあります。
 たとえば先ほどの頭痛を例にとりましょう。セッテイングを少し変えます。
 催眼をかけて前世に戻ります。するとその人はある人生を過ごしてある日、頭に槍を受けて死んでしまいます。すると「ああ、頭の痛いのはこの槍を刺されたことから来ているのだ。」と納得します。そうすると、あら不思議、現世での頭痛が氷解してしまうというのが「前世療法」です。
 これをカルマと考える人がいます。ちょっと待ってください。現世の頭痛よりも、前世の槍を頭に受けた方がカルマが深いのではないのですか? するとその前世に戻ってカルマを解かなくては、そしてさらにその前とさながら「果てしのない物語」(ネバー・エンデイング・ストーリー)になってしまいます。
 前にも申しあげたとおり、「前世療法」によって頭痛がとれれば、「前世療法」は結構な療法で私は何も否定しません。現に、「前世療法」をそれでも希望してこられる方には私の友人で「前世療法」をしている方を紹介します。決して「前世療法」はインチキだから、受けてはだめだとはいいません。しかし、「前世療法」に「前世」を求めるのは私としては不本意であるので止めているのです。
 また前章でのカルマの話も含めて、カルマは前世から引きずってくるのではなく、現在のあなたがつくり出すものであることはもう一度おさらいをしておきます。
 いまのあなたが大事なのです。

 (渋谷直樹著 「すべての存在へ」より)