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課題集 0アカシア の山

★自由(じゆう)な題名(だいめい) / 池新
○だいじにしているもの、きれいにしたこと / 池新
○もしわたしが……だったら / 池新

○菜の花(感) / 池新
【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
 【1】昔の人々は、明るい星を結んで星座を思い描きました。星座を作ったのは、シュメール人という説もありますが、一般的には、約五千年前、バビロニアの羊飼いたちによって、作られたのが最初と言われています。【2】初めのころは、十二星座でしたが、その後、四十八星座に増えました。
 十七世紀に、オランダで望遠鏡が発明され、暗い星も観測できるようになると、四十八星座のすきまにも新しい星座が作られるようになりました。【3】そのころ、星を見つけるたびに、こんな会話が交わされたかもしれません。「新しい星を見つけたぞ。」「だめ。それは、おらンダ。」
 それまでは、星座というと、北半球のものに限られていました。【4】しかし、今まで知られていなかった南半球の星座が紹介されるようになると、新星座作りのブームが起こりました。なぜ星座がたくさん作られたのかというと、二十世紀の初めまでは、星座を作ることに決まりがなく、誰でも簡単に作ることができたからです。【5】一時は百二十もの星座が作られたことがあり、あまりの多さに混乱が起きるようになってしまいました。そこで、二十世紀になってから、国際天文学連合によって、八十八の星座に統一され、星座の境界も定められることになりました。【6】現在、私たちが親しんでいる星座は、このときに定められたものです。
 星座は、神話とともに紹介されることが多いため、西洋のものと思われがちですが、古代のインドや中国にも独自のものがあります。【7】中国の星座は、七、八世紀ごろ、日本にも伝えられたようで、日本では、明治時代に西洋の天文学が導入されるまで、ずっと中国の星座が使われてきました。∵
 【8】また、昔から星座は、時刻をはかり、季節の移り変わりを知り、農耕の時期を伝える役割を果たしてきました。海に囲まれた土地に住む人々は、広い海を航海するときに、星を観測して位置や方角を確かめるのにも使っていました。【9】ですから、星座の名前も、その土地独自の呼び名が数多くありました。
 四季を通じて明るく見えるオリオン座は、世界各地でさまざまな名前がつけられています。日本では、その形から鼓星と呼ばれていました。【0】また、オリオン座の左上にある赤い星は平家星、右下にある白い星は源氏星とも呼ばれていました。これは平家の旗の色が赤、源氏の旗の色が白だったからです。
 さまざまな想像をふくらませてくれる星座を、たまには正座してしみじみ眺めてみるのもいいかもしれません。
 あれは大きいからお父さん星。あっちはきれいだからお母さん星。これはしょっぱいから梅干し。ここにある長いのは物干し。頭にかぶっているのはただの帽子。

 言葉の森長文作成委員会(π) ∵【1】「菜の花や 月は東に は西に」
 蕪村の俳句に詠われている菜の花は、春を告げる花として、私たちの目を楽しませてくれます。しかし、菜の花は観賞用として楽しむだけの花ではありません。【2】野菜と同じように食べることもできる花なのです。
 菜の花は、花だけでなく茎も葉も、ゆでたり炒めたりして、おいしく食べることができます。【3】しかも、菜の花には、ビタミンや鉄分などの栄養素が豊富に含まれています。
 菜の花を調理するときは、花が開ききっていないつぼみを選ぶようにします。【4】花が開くとエグが出るためです。また、火の通りがよいので、菜の花のほろ苦さや歯ざわりを生かすように、塩を少しを加えた熱湯でさっとゆであげます。
 【5】菜の花は、アブラナ科の植物で、種から油を採ることもできます。この菜種油は、ドレッシングや天ぷらの油として利用されていますが、江戸時代には行灯の燃料としても使われていました。
 【6】昔、二宮金次郎が子供のころ、夜遅くまで行灯をつけて本を読んでいるので、お店の主人から、油がもったいないと言われたことがあります。【7】金次郎は、川岸の空き地に、友達から借りた一握りの菜種を植え、一年後に袋一杯の菜種を収穫しました。【8】金次郎は、この経験から、「小を積んで大と為す」という考え方を学びました。金次郎が行灯をつけて、天丼を食べていたら、このような考え方を学ぶことはなかったでしょう。
 【9】このように、いろいろな面で私たちの役に立つ菜の花は、まさに魔法の植物と言えるでしょう。菜の花を見ていると、思わず呪文を唱えたくなります。アブラナ カタブラ。【0】

 言葉の森長文ちょうぶん作成委員会(Λ)