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解説集 ゼニゴケ2 の池 (最新版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 http://www.mori7.net/mine/ike.php
最新版には印刷日(2019-06-14 00:00:00)以降に追加されたもの(グレーで表示)も掲載されています。

1.1週 
●ベンチャー、宗教
 アメリカではベンチャービジネスの成功が大きな話題となっています。日本でも、若い人が自分の持っている特技をもとに会社を立ち上げるという例が増えています。しかし、日本ではまだベンチャーを育てる環境が貧困です。その背景と対策を考えてみましょう。
構成図の書き方
 構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
 構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
 たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
 枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
 

構成用紙を使って構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。

 


1.2週 
●(感)ところで、「理解できた」と
 第一段落は、状況実例と予測問題。「理解できたということと『わかった』ということは違う。しかし、今の社会のように覚えるべき知識が膨大にあると、教える側も理解させただけで先に進んでしまうことがある。昔のように、同じことを何度も繰り返し、体で覚えて分からせるという教育の仕方も見直すべきではないだろうか。(予測問題)」
 第二段落は、その対策。「そのためには、昔の繰り返しの教育を見なおすことも大切だ。道元は、只管打座(しかんたざ)というただひたすら座禅を組むことによる修行を教えた。現代人は知的な理解を性急に求めることが多いが、このように時間をかけて繰り返さなければ学べない分野もあることを知らなければならない。私も、水泳の練習をしているとき、何度も泳いでいるうちに理屈があとから理解できると思ったことがある。」
 第三段落は、対策2。「また、『わかった』と感じさせるような理解のさせ方を工夫する必要もある。『ま6.3週 落ちてきたら(感)』の長文で、比喩が理解を助けることが述べられている。仏陀は『人を見て法を説く』という教え方をしたとされる。大事なことは、相手がわかることである。」
 第四段落は、まとめ。「確かに、現在のように教わる知識が多い社会では、とりあえず知的な理解を先行させるという方法を採らざるをえない場合も多い。しかし、理解させるのは、教える側の満足のためではなく、教わる側の満足のためにあるのでなければならない。」


1.3週 
●(感)言葉というものは
<第一段落>
将来予測される問題を提示しよう。例えば、現在では幼児期から英語を学ばせたり、小学校のカリキュラムに英語を入れることが検討されている。それに伴って母語である日本語の習得及び理解が不十分になれば、けっきょくは日本語も英語も言葉足らずになってしまい、コミュニケーションや相互理解もうまくいかないのではないかという問題が予測できる。

<第二段落>
第一段落で提示した問題への対策を考えよう。まずはやはり母語を大切にすること。課題文のように言葉の背景には文化がある。だから日本の文化や歴史を学ぶこと。外国人と交流していて、彼らのほうが日本文化に詳しくて驚いたという経験を書いてみよう。

<第三段落>
対策の第二としては、積極的に外国文化や外国人に日本文化や日本語を教えることが挙げられる。そういった行動を通して、自らを客観的に見たり、日本語の難しさの実感や文化の理解が深まるだろう。

<第四段落>
反対意見への理解としては、確かに国境を越えた人やモノの移動が日常的になっている現在では外国語を学ぶことは大切であるし必要なことでもあるだろう。しかし、自分があってこそ相手がある(自作名言)ように、どちらかに偏ったものでは異文化理解は表面的になってしまう。小学校のカリキュラムに英語を導入すると同時に作文の授業も導入するべきであろう(書き出しの結び)。

2.1週 
●(感)実際に一九世紀前半において
<予測問題の主題>
現在は科学と技術が連携していない。純粋な真理探究欲求を野放しにしてしまうと、科学による発見が技術に転化されたときに予測不可能な問題が生じてしまう。例えば原子爆弾、臓器移植、脳死判定、遺伝子工学などがその好例だろう。
<対策>
対策の一つとしては、科学の目的の一つ、真理追究を神聖視してきた歴史を見直すべきである。
対策の二つ目としては、科学と技術の相互連携を強化し、それに市民が携わることである。
<長文実例>
島次郎は『先端医療のルール』のなかで、医療技術の発達により人間の生死の境目が曖昧になっていることを指摘している。
<反対意見の理解>
たしかに人間は本質的に知的欲求を所有し、科学的探究は制限できないだろうし、また発見が人類に大きな貢献をしてきたことも否定できない。しかし同時に予測できない複雑で深刻な問題も生じてきて、私たちは自らの知的欲求のために我が身を滅ぼさんとしているほどだ。

2.2週 
●(感)十九世紀の経済学には
<予測される問題>
 人間が欲望のままに経済を拡大し続ければ、限りある資源は枯渇し、人類の食糧危機やエネルギー危機に直面するだろう。
<対策>
 対策の一つとしては、資源の有限性をしっかり認識することである。対策の二つ目としては大量生産大量消費、使い捨てという資本主義社会の特徴ともいえるべきライフスタイルを見直すことである。また対策の三つ目としては、私たちの生活も含めて、地球上の全ての生物が一つの生態系として結びつき、お互いに影響を与えていることを自覚することである。
<長文実例>
 松永勝彦『森が消えれば海も死ぬ』ではこう書かれている。日本の各地の漁場では、山の森林伐採により土砂が海に流れ込み漁場がだめになる例が少なくない。
<反対意見への理解>
 確かに資本主義に内在する性質から、経済が拡大しなければ資本主義は崩壊してしまう。しかし資本主義の前提に資源の有限性や生態系という視点が欠けていると分かった今、新たな社会経済構造やライフスタイルを模索していかなくてはならないだろう。
<自作名言>
ことわざの加工:「禍を転じて福をなそう!」。環境破壊という禍を持続可能なライフスタイルの構築という福に転じようではないか。
自作名言:私たちは常に脱皮しつづけねばならぬ。 

2.3週 
●(感)周知のように
《解説》
日本の宴会と、欧米のパーティーが異なるのを想像できますか? 欧米のパーティーは参加者がグラス片手にあちこち移動し、知らない人とでも自然に交流します。知らない人が入り込んでも誰もわからないし、誰でも参加OKだったりしますね。こんなことを映画や小説などでイメージできるでしょう。
日本人はどこでも知った者同士でかたまりますね。団体旅行でも学校でも何かの集会でも結婚式でも……。
学校でも新しいクラスで友人になるには、それなりのきっかけとか友達の友達、なんてことがないかぎりなかなか友達になれません。仲間意識が強いのはいいのですが、排他的で内向きな性格はマイナスに働きます。
そんなことから生じうる問題を予測してみました。
<予測される問題>
 資本もモノも人も国境を越える現代、国境がますます低くなれば日本人の社交下手はビジネスや文化交流にとってハンディとなるだろう。
<対策>
 対策の一つとしては、欧米の遠心力が作用する交流の場を学校や地域に作ることである。かつて日本でもサロンとよばれる場があり、そこでは趣味嗜好の似た人々が集まり自由な交流を行っていた。現代では、流行しているクラブ(そんなとこ行ったことないよね ^^;)など。
 対策の二つ目としては、コミュニケーション能力を鍛えることである。日常生活では「日本人」であっても、積極的なコミュニケーション能力が必要とされる場ではしっかり対応できるように訓練する。
 対策の三つ目は集団に依存せずに一人で考え行動する訓練を行うこと。
<長文実例>
長文実例はビワ9.2が使えそうです。
<反対意見への理解>
 確かに日本の宴に見られる求心力は、仲間意識を強めその場に居る者に一体感を感じさせるためにチームワークのよさや協調性は抜群かもしれない。しかし時代は変わりつつあり、いろいろな面で欧米のやり方が世界共通となれば、先進国日本もそれに従わなくては世界から取り残されてしまうだろうし、私たちの世界観も広がらないままであろう。

3.1週 
●(感)西洋近代における
解説:日本では海外の文化を形だけ取り入れてその中身を理解することはしませんね。例えばクリスマス、バレンタインデー、最近ではハロウィーンパーティーなどにぎやかに行いますが、それぞれのイベントの内容を知る人はいませんし、ましてや心からクリスマスを祝う人などクリスチャンくらいなのではないでしょうか。近ごろの韓国ブームもしかりですね。
<予測される問題>
 表面的な異文化受容は真の異文化理解につながらず、私たちの世界観は広がらないばかりでなく、排他的な潜在意識を払拭できない。
<対策>
 対策の一つとしては、形やモノだけの受容でなく、人と人との交流を欠かさないこと。対策の二つ目としては、イベントの由来、その国の人たちにとっての意味、背景となる歴史の学習など。
<反対意見への理解>
 たしかに楽しみとしての海外文化の受容は異文化理解へのきっかけになるかもしれない。しかし、その国の人にとっては大切な行事を意味や歴史も知らずに表面的にイベントとして受容することは一種の差別、侮蔑とみなされる。

3.2週 
●(感)人間が、死にたいして
<予測問題の主題>
現代人の寿命が延び、また死を目の当たりにする機会が減ったこと、医療技術の発達で生死の境目が曖昧になったことで、死についてまともに考えることができなくなりつつある。それは生や死を軽視することにつながるだろう。
<対策>
対策の一つ目としては、死についての教育を導入し、死とは何か、生とは何かを考える場をもうけることである。
対策の二つ目としては、病院や施設での死から自宅での死を迎えられるようにして、家族の死をより近くで体験する社会にもどすことである。
<長文実例>
ペンペン草2の3.3週、黒井千次『老いの時間の密度』で自宅で死を迎えることの困難さが述べられている。

3.3週 
●(感)進化を含め
 歴史と一言で言っても、何を歴史と言うのだろうか? ある日ある人が庭に水をまいた……これは事実であるが、果たして歴史といえるだろうか。歴史とは一体なんだろうか? そのうえ文学では事実を取り扱うというわけではない。では、文学の歴史とは一体なんだろうか?
<予測される問題>
 文学を「架空の世界」として片付けてしまえば、歴史学では分からない時代の姿は一部しか見えてこないだろう。
<対策>
 対策の一つとしては、文学は架空の世界ではとどまらず、その時代や社会の姿を映し出したある種の「事実」と見なすべきである。
 対策の二つ目としては、事実との対応を重視するべきである。
<長文実例・読書実例>
 E・H・カーは『歴史とは何か』で、歴史とは現代に結びつく問題によって取捨選択される、過去の事実とは現代の問題にからんでこそ歴史となりうり、その事実の見方や評価も変化しうると述べている。つまり、完全に客観的な歴史事実とはありうべくもなく、歴史はあくまでも主観的なもものだ。
 五木寛之の『青春の門』では、その時代時代の社会がよく描かれている。これは単に歴史事実だけを追った歴史学では知りえないものだ。こういうものがあってこそ、歴史事実一つひとつを深く理解できるであろう。
<反対意見への理解>
 確かに「●●年に××があった」という事実は事実として無視することができない。しかし、その事実の社会的背景や人間の心情などを考慮しなくては、その事実を深く理解し現代の問題の教訓にすることはできないだろう。
<自作名言>
 歴史は生き物である。