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解説集 ゲンゲ の池 (最新版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 https://www.mori7.com/mine/ike.php
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1.1週 
●宗教、独裁と民主主義
 宗教は個人の思想信条の自由として考えられるものですが、人間が社会的な存在である限り、個人の問題ですまない場面も当然出てきます。
 例えば、国家が徴兵制を採用しているときに、自分の属する宗教の「人を傷つけるべきではない」という信念からその兵役を拒否する権利が先進国では良心の自由として認められています。しかし、この宗教が「だから、国家は戦争をすべきでない」というところまで主張するとすれば、それは徴兵制を指示している人の思想の自由を逆に束縛することになります。
 宗教の今日の社会における問題として考えてみましょう。
 高2 1.1週のヒント ●宗教
 第一段落は、状況実例。「イスラエルとアラブ諸国の対立には、その根に宗教的対立があると言う。この宗教的不寛容がもとになる対立は、これからますます増えてくるのではないだろうか。」
 第二段落は、その原因。「第一の原因は、対立を話し合いではなく武力によって解決しようとする傾向があるからである。一方が武力を使えば他方も武力を使わざるを得ない。私も、小学生のときによくけんかをしたが……。」
 第三段落は、原因2。「第二の原因は、宗教を超える大きな価値観がなくなってしまったことである。東西冷戦がなくなって、それまで潜んでいた宗教上の対立が表面に出てきたと考えられる。自然にも似た例はある。猿山でもボスがいなくなると、次のボスをめぐって猿どうしの争いが起こる。現在の宗教上の対立は、資本主義と社会主義の対立という大きなボスがいなくなった猿山の状態ではないだろうか」
 第四段落は、反対理解とことわざの加工。「確かに、社会は対立と競争によって発展してきた。しかし、現在の宗教間の対立は不毛なものに見える。私たちは、宗教という井戸の中で暮らすカエルであってはならないのだ。(ことわざの加工)」
 
構成図の書き方
 構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
 構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
 たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
 枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
 

構成用紙を使って構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。

 


1.2週 
●さて、ヨーロッパの旅をする時(感)
 内容:建物を見るときその様式や構造などの知的関心に向かうとかえって印象や感動が弱まることがある。建物はまわりの風景との生きた連関の中でみる必要がある。また風景は、その風景を見ている人との関係の中で生きたものになる。

 解説:いろいろな意見が考えられますが、今勉強している社会問題の立場から意見を考えてみると、「風景の心を無視した資本主義的営利関心のつくり出す建造物が、むき出しに風景を破壊する」というところで問題提起ができそうです。風景と調和する建物、風景を破壊する建物の例を通して考えてみましょう。
高2 1.2週のヒント ●さて、ヨーロッパの旅をする時(感)
 第一段落は、要約と意見(社会問題)。「建物は周りの風景との関連の中で見るものだ。しかし、現在の社会では周りの景色を無視した不調和の建物が多い。」
 第二段落は、その原因と体験実例。「その原因は、私たちが戦後、伝統のよさを否定してきたからではないだろうか。土地には、その歴史がある。しかし、その歴史よりも合理性を優先させてしまうところがある。私の家の近くの学校も、第一小学校、第二小学校、第三小学校という名前がついているが、実に味気ない。建物も街区の番号をそのままつけた214ビル、212ビルという名前になっている。ホント。(笑)」
 第三段落は、原因2と自然科学実例。「また、もう一つの原因は、今日の社会が利益にならないものは評価しないという論理で動いているからである。景色との調和というような利益にならないものは、どうしても後回しにされがちなのである(原因)。最近の研究によれば、恐竜は色を知覚できたのではないかと言われている。そうすると、恐竜の皮膚も実はもっとカラフルだったのではないかと推測される。恐竜の子孫と言われる鳥類は、クジャクなどに見られるように美しく自分を装っている。そこには、生存の必要以上に、周囲を美しくするという意志も働いているのではないかとさえ思われる(自然科学)。現代の資本主義は、自然界よりも遅れているのではないだろうか。」
 第四段落は、反対理解とことわざの加工、又は自作名言。「確かに、周囲との調和を強調しすぎれば、社会の停滞を招く。しかし、私たちはもっと周囲との調和を考えていく必要がある。カニは甲羅に似せて穴を掘ると言われている。しかし、人間は、周囲の環境に合わせて自分の甲羅を変えていくことができる生き物だ(ことわざの加工)。周りの景色を生かすことは、自分を殺すことではなく逆に自分自身も生かすことなのである(自作名言)。」
 

1.3週 
●首飾りというものは(感)
 内容:首飾りは地位の象徴や財貨としての機能を持っているが、同時に思い出の糸口やお守りとしての機能も持っている。「物」に思い入れをしてしまうことを物神崇拝(フェティシズム)というが、物心崇拝の対象を持っていないことはむしろ不幸である。

 解説:アルバムの写真は、他人にとってはどうでもいいようなものばかりですが、本人にとってはかけがえのない宝物であることが多いものです。中には彼女との初めてのデートのときに河原で拾った石ころなどを宝物にしている人もいるかもしれません。(いないか)

 現代の社会では、「物」は、価格という普遍的なものに還元されてしまいがちです。しかし、何百万円もする壷や絵画に囲まれてその金額を自慢して暮らしている人よりも、孫の描いた絵や自分の気に入ったガラクタに囲まれて暮らしている人のほうが幸福な感じがします。(かなり図式的ですが。(^^ゞ)
高2 1.3週のヒント ●首飾りというものは(感)
 この長文の結論は、「物神崇拝の対象をなにも持っていない人こそが、実は不幸なのだ」にあると考えていくといいでしょう。
 
 第一段落は、要約と意見(社会問題)。「現在は、あらゆるものが商品となり金銭的価値に還元される社会である。そのような社会で、かえって心が貧しくなっていくところに問題がある。」
 第二段落は、原因と体験実例。「その原因は第一に、金銭以外の価値が消失したことにある。私も、お年玉をもらうと、もらったことに対する感謝よりも、つい中身の金額が気になってしまう。(笑)」
 第三段落は、原因2と社会実例(自然科学)。「もう一つの原因は、金銭という尺度があまりに強力だったからである。マンモスの牙も、最初は実用的なものだったはずだが、その実用性が強力すぎたためかある時期から牙そのものが周囲の状況とは無関係に独自に進化するようになったと考えられている(自然科学実例)。人間にとっての金銭も、今そのような運命にあると言えるのではないか。
 第四段落は、反対理解とことわざの加工、又は自作名言。「確かに、金銭という基準があることによって、人類は経済を発展させた。しかし、今はその発展が行き過ぎた状態になりつつある。過ぎたる金銭崇拝は、過ぎたる物心崇拝と同じように、どちらも人間の幸福に及ばざるものなのである(ことわざの加工?^^;)。物の価値は、その物の中にあるのではなく、その物に価値を感じる心の中にある(自作名言)」。
 
 

2.1週 
●どんな理路整然とした方法論に(感)
 内容:歴史書は、生きた人間の活動を形象化するべきだ。しかし、日本ではそのような歴史書は少ない。それは、その歴史家の人間を見る目がひからびているからだ。ユネスコでの科学者の共同声明は、社会科学の役割を平和の基礎としての社会的洞察を民衆に与えることだと述べた。学問は日常生活の中で試されてこそ豊かになる。

 解説:社会科学の分野では、書物の上での勉強だけで実際の日常生活からのフィードバックがなければ、社会に役立つ学問は生まれにくいでしょう。みなさんが学校で勉強している地理・歴史・政治経済などに結びつけて考えてみましょう。

 私(森川林)が高校生のころ、歴史を教える先生は、ただ資料を読んだり板書して書き写しさせたりするだけの授業で生徒からかなり評判の悪い先生でした。一度、M君という友達が書き写しをしていないので先生から注意されたとき、M君は「そんなのばかばかしいから僕はやりたくありません」と言って、一瞬クラスにジャジャーンという雰囲気が漂ったことがありました(笑)。その歴史の授業に比べて政治経済の授業はおもしろく、先生が現代の問題と関連させながら話をするので、私などはいつもいちばん前の席で(席が自由に決められた)一言ももらさずに聞いていました。何を聞いたかはもう忘れてしまいましたが。(^^ゞ

 現代の社会に対する深い問題意識を持たない学問というと、大学の授業にも似たところがあり、経済評論家の邱永漢さんは1945年に東大の経済学部を卒業したそうですが「大学での勉強は役に立たなかった」と述べています。最近は、だいぶ改善されていると思いますが。
 高2 2.1週のヒント ●どんな理路整然とした方法論に(感)
 第一段落は、要約と社会問題。「今日の学問は、社会の問題に取り組むよりも、学問自体を目的としている面があるのではないか(問題)。」
 第二段落は、その原因と体験実例。「それは、一つには、学問の内容自体が膨大になり、全体像がつかみにくくなったからである(原因)。私も、毎日英語と数学の宿題に追われているが、やることが多いので、この勉強が将来どういうことに役立つかなどと考えている余裕がない。」
 第三段落は、原因2と自然科学実例。「また、もう一つの原因としては、これまでの社会が、経済成長に役立つ分野以外に、学問の役割をあまり期待していなかったからだということもある。海に戻った鯨やイルカは、陸上生活時代のころに使っていたはずの足の痕跡がほとんどない(自然)。役割を期待されていないものは、消滅するのである。」
 第四段落は、反対理解と自作名言、又はことわざの加工。「確かに、学問には、その時代の社会の必要とは独立した意義もある。しかし、学問、特に社会学とは、社会についての学問ではなく、社会のための学問でなければならない。『雨だれ岩をもうがつ』と言う。しかし、大事なことは、どういう岩をうがつべきなのかということなのである」
 
 

2.2週 
●言語以外の表現方法は(感)
 内容:言語以外の表現は、社会生活の中で大きな役割を果たしている。しかし、現代は言葉というものの力を過信しているため、言語以外の音声やしぐさの重要性に目が向けられていない。

 解説:子供のころにこういう経験があった人も多いでしょう。「どうして、こんなことをしたの」「よくわからないけど」「どうしてわからないの」「えーと、その、つい」「どうしてついなの」。

 言葉で説明しきれないことは世の中にたくさんあります。「大人にはわからない」「男にはわからない」「女にはわからない」などという言葉をみなさんも聞いたり言ったりしたことがあるでしょう。

 人間の決断は言葉では説明しきれないところでしばしばなされるものです。「人生意気に感ず」なども言葉で説明しにくいところでしょう。

 しかし、現代社会では言葉だけで判断する面が増えています。増えるPL(製造物責任)訴訟に対応するために、企業も製品にいろいろな注意書きをつけていますが、中にはただつけただけのような注意書きもあります。カップラーメンには「熱湯に注意」などと書かれていますが、これはカップラーメンを作っているときにお湯をこぼしてやけどした場合、企業が製造物責任を訴えられないようにするためです。アメリカではペットの猫を電子レンジで乾かそうとした人が、電子レンジ会社を訴えた例もありました。訴えるほうも訴えるほうですね。
高2 2.2週のヒント ●言語以外の表現方法は(感)
 第一段落は要約と意見(社会問題)。「何でも言葉にすることを要求する社会は問題だ。」
 第二段落はその原因と体験実例。「第一は、相手の気持ちを汲み取るような文化が廃れてきたためである。私もこの前、禁止の自転車通学をして、反省文を書かされた。」
 第三段落は、原因2と自然科学実例。「第二の原因は、欧米と伍してやっていくために、欧米流のディベート文化を身につけなければならなかったからである(原因)。オーストラリアで有袋類がのんびり繁栄することができたのは、大陸の過酷な生存競争から隔離されていたからである(自然)。」
 第四段落は、反対理解とことわざの加工、又は自作名言。「確かに、言葉でやりとりすることはこれからの時代には必要かもしれない。しかし、私たちは言葉の背後にある気持ちを汲み取るような文化を守っていくべきだ。口だけがものを言う文化は、真に人間的な文化とは言えないだろう。」
 
 
●言語以外の表現方法は(感)
 「何でも言葉にしなくては伝わらない社会」になってしまったのはなぜでしょうか。自然科学実例を導き出す原因としては、「核家族化したことにより、自然に伝承されていくことが減ってきたため(原因)」ということも挙げられそう。見よう見まねで覚えるチャンスがなく、言葉による伝承に頼るしかなくなった……、ということから、
 「幸島のサルは芋洗い行動をすることで有名である。芋を海水で洗うと塩味がつくが、その味を気に入ったサルたちの間で、「海水での芋洗い行動」が広まった。これは、集団の中で自然に伝承された『文化』だが、もしもこのサルたちが集団生活をしていなければ、単なる一個体の好みで終わっていた可能性もある。」
人間も、大勢の中で暮らしていれば自然に身につくことも、今は、インターネットや本など、言葉を手段としたものでしか学べなくなっているのですね。

2.3週 
●「坊っちゃん」はイギリスで(感)
 内容:「坊っちゃん」は、欧米の個人主義に触れた漱石が日本における個人の問題を学校という世間の中で描き出そうとした作品である。欧米の「社会」という言葉は、自立した個人を前提にしている。しかし、日本では個人は世間という曖昧な関係の中で自己を形成せざるをえない。そこに絶対的な神との関係の中で自己を形成することからはじまった欧米の個人との違いがある。

 解説:日本では正論を述べると「まあ固いこと言うなよ」とか「君はまだ若い」などと言われることがあります。個人が神との絶対的な関係を持っているという考えがありませんから、たまに「七夕は神様以外のものを敬う行事だから参加できない」などと言う人がいると、大半の日本人は「まあまあ、それはおいといて」(どこに置くんだ)という態度をとります。欧米では、個人が自分の内側にある倫理で自立しているという考えが前提になっていますから「私は神様と約束したので野菜は食べません」などいう人がいても、「あ、そう」と認められます。これが日本だと、「またあ、そんなこと言って、給食残しちゃだめでしょ。先生があとで神様に言っといてあげるから、野菜食べなさい」という対応をされるはずです。

 日本における個人主義の不足は、特に政治の面で問題になることが多いようです。選挙における投票行動なども、政策をもとにするよりも義理や人情のほうが優先されるところがあります。

 しかし、自立した個人主義にはマイナス面もあります。その一つは日本人の感覚で言うと人間関係が冷たいということです。また異なる価値観を持った相手と共存できないという心の狭さのようなものもあるようです。日本人には、「オケラだって、ミミズだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ。友達なーんだ♪」という感覚がありますが、欧米人には「私は、オケラやミミズとは友達ではない」という人がたくさんいると思います。
高2 2.3週のヒント ●「坊っちゃん」はイギリスで(感)

 第一段落は、要約と意見(社会問題)。「日本人に個人主義が欠けており、世間に流されやすい面があるところに問題がある。」
 第二段落は、その原因と体験。「第一に、日本の農耕民族の歴史が、日本人の国民性を作ったということが考えられる(原因)。私のクラスでも、みんなと同じペースでやっている人は人気があるが、一人だけ自分のペースでやろうとする人は敬遠される傾向がある。私もこの前、……。」
 第三段落は、原因2と社会実例(自然科学)。「第二の原因としては、日本の社会が島国であるために、異質の文化を持った人との接触が少ないということが考えられる。ダーウィンが進化論の着想を得たガラパゴス諸島は、小さな島々が急な潮の流れにより他の島々から隔離された状態であったために、島ごとに特殊な進化を遂げた生物が生息していた(自然)。」
 第四段落は、反対理解と自作名言。またはことわざの加工。「確かに、日本人の世間志向が安定した社会を築いてきた面はある。しかし、これからの国際化社会では、日本人も自分の意見をしっかり持った個人主義的な発想をしていく必要がある。個人の意見を主張することは、社会に背をそむけることではなく、社会的に生きる方法なのである。」
 

3.1週 
●自然に対する人間の働きかけには(感)
 内容:自然に対する人間の働きかけには二つの型がある。一つは量についてのもの。もう一つは制御と管理に関するものである。昔から人はいつでも量の不足に悩んできた。科学技術の発達は、量の問題の解決に大きな役割を果たした。しかし、核兵器に見られるように、量の問題の解決は必ずしもトータルな成功ではないことが明らかになった。量の問題を解決してみたら、その量を制御するものが不足していることが見えてきたのである。

 解説:食事にあてはめてみると、昔はいかに食べ物を確保するかということが大問題でした。今は逆に、いかに食べ過ぎないかということが大問題になっています。特にみなさんのお母さんを見ると、このことがよくわかると思います。冗談です。(^^ゞ

 食事ぐらいだと笑って過ごせますが(でもないか)、今後、量的な問題の解決は、さまざまな制御の問題の必要性を生み出しそうです。
 昔は、獲物をより効率よく捕ることが重要な課題でしたが、今は乱獲せずにいかに再生産を確保しながら捕るかということが課題になっています。
 昔は、清潔な環境を確保することが課題でしたが、その清潔すぎる環境が人間の免疫力を混乱させているために花粉症などのアレルギーが多発するという説が出てきました。そうすると、過度の清潔ではなく、ところどころにダニやゴキブリを定期的に散布するというような制御的な問題が新たに浮上してきそうです。月曜日はダニの日で、水曜日はゴキブリね、などという具合です。うちは清潔すぎるから、金曜日にハエもお願いね、などというところも出てきそうです。
 これから科学が発達すると、いまはまだだれにとっても足りないように見えているお金や寿命や成績も、やがて多すぎるからいかに制御するかということが課題になってくるかもしれません。早くそうなるといいですね。
高2年 3.1週 ●自然に対する人間の働きかけには(感)
 第一段落は、要約と意見(社会問題の主題)。「量よりも制御が重要になっているのに、いまだに量を中心に考えている社会に問題がある。」
 
 第二段落は、原因と体験実例。「その原因は、欧米に追いつけ追い越せという時代が長かったからだ。私の父も、物を買うときは、『多い』か『安い』を基準にしている。」
 
 第三段落は、原因2と社会実例(自然科学)。「もう一つの原因は、社会全体に、まだ量を中心にして評価する傾向があるからだ。会社なども、従業員の働きがいより、売上高を重視する傾向がある。巨大化した恐竜は、環境の変化に適応できずに滅びた(自然科学)。」
 
 第四段落は、反対理解と自作名言、又はことわざの加工。「確かに、世界にはまだ量の不足に悩む地域もある。しかし、これからの社会は制御の問題がますます重要になってくるはずだ。量が問題になるのは、不足によってではなくむしろ過剰によってである。大で兼ねることのできない小に目を向ける必要がある。
 
 
●自然に対する人間の働きかけには(感)
 〜「量」こそが「豊かさ」の象徴であるという考え方がまだ根強いからだ。〜ということも原因として挙げられそう。戦時中から戦後と日本は物のない時代が続きました。食べ物・衣服・お金が潤沢であることこそが豊かだということであり、潤沢であることを目標として頑張って来た日本人にとって、「量」が豊かさの象徴であったことは事実です。
 自然科学実例は、モズのはやにえの例で。モズはとらえた獲物を木の枝にさす習性があります。この習性がなんのためかは、はっきりわかっていませんが、一説によると、たくさんの獲物をはやにえにすることによって、オスがメスにアピールするとも言われているそうです。モズの世界でも「量」が豊かさの象徴であり、それを求愛のアピールに使うのですね!

3.2週 
●芸術というものは、ある時理論を(感)
 内容:芸術家の作品のもとには、幼い時の根本的な体験がある。日本人にとって西洋の芸術は文明の体系が違うので、自身の幼いときの体験との差を埋めるのは困難に思われる。ある文化から生まれた芸術は、その後のその文化の方向を規定する。ヨーロッパで花瓶に生けてある花を見ると、どれもブリューゲルの花の絵の影響を受けている。

 解説:若いときはだれでもハンバーガーやスパゲティが好きなものですが、年を取るとだんだんお茶漬けやたくあんが好きになってきます。テレビ番組の好みもだんだん紅白歌合戦や水戸黄門に傾いてきます。幼いときの根本的な体験は、その人の感受性を深いところで方向づけているのでしょう。色彩やデザインの好みも文化によって違うようです。街や公園や住まいの作りも、西洋と日本では好みがだいぶ違います。西洋式の公園のように区画が計算されたようになっているデザインは、日本人にはあまり好まれません。住居でも、大理石の床にイスとテーブルがあるような作りではなかなか落ち着きませんが、畳の上にこたつがあるような作りだとほっとします。

 芸術には、民族や文化を超えて普遍的な感動を呼び起こす面ももちろんありますが、民族的文化的な面もまたぬぐいがたくあるようです。私たちが人間的な生活をしていくためには文化における民族的なものを深く自覚していくことが必要です。それは、自国の民族的なものを大切にすることであるとともに、他国の民族的なものを尊重することでもあるでしょう。
●芸術というものは、ある時理論を(感)
 第一段落は、要約と意見(社会問題)。「芸術には普遍性があるが、それを作る側までが自分の民族性を忘れて同じように普遍的に創造できると思ってしまうところに問題がある。」

 第二段落は、その原因と体験実例。「その原因は、第一に、戦後の教育が普遍性を重視しすぎたところにある。私も中学生のときに日本国憲法を暗唱したが、中に書かれている理想は普遍主義の色彩の濃いものだった。」

 第三段落は、第二の原因と社会実例(自然)。「第二の原因は、日本が島国であるためにほかの文化との接触が少なく、自分たちの独自の文化を自覚していないためである。オーストラリアでは、1920年代に動作がのろいコアラの毛皮を目的にした乱獲が多発し、300万匹ものコアラが殺されたため、大幅に生息数を減らしたと言われている(自然)。ほかの肉食獣との接触の少なかったコアラは、人間が近づいてものんびりとユーカリを食べるだけで、自分の置かれている立場を自覚していなかったからである。」

 第四段落は、反対理解と自作名言。「確かに普遍主義は尊いものだ。しかし、自分の属している民族や伝統を自覚することもまた大切だ。芸術に普遍性があるのはその花や実の部分であって根の部分ではない。『朱に交われば赤くなる』。私たちの感性もまた、子供時代に交わった朱の影響を受けているのである。」
★芸術というものは、ある時理論を(感)
 第一・第二段落の考え方の例

 第一段落 要約と意見(社会問題)。「芸術には普遍性がある。しかし、現代の日本において、創造の源泉は民族性や国民性につながっていることが忘れられているとしたら問題だ。」

 第二段落は、その原因と体験実例。「その原因は、第一に、戦後の社会が日本の伝統や文化の良いものに目を向けるよりも、欧米の近代文明を受け入れることに積極的だったところにある。」 体験実例としては、日本の住居において、和室(畳の敷かれている部屋)が少なくなったこと。家族でちゃぶ台を囲んで談笑する、こたつでみかんを食べるといった光景は減少し、フローリングの部屋(リビングルーム)で、ソファに座って…といった光景に取って代わられました。年中行事としてのお祭も、昔ながらの地域社会のつながりが強いところでは盛んですが、都市や新興住宅地の住民にとってはなじみの薄いものになっています。衣服も、戦前は日常着として普通に着られていた着物が、今は七五三や成人式、結婚式など記念すべき日の特別な衣装になっています。食事を考えても、伝統的な和食から欧米的な食事への変化は著しいですね。

3.3週 
●ある人物についての物語が(感)
 内容:人間は何かを決断するとき、その決断を説明する物語を作る。当人が何者であるかを明らかにするのは、当人にとって切実な自己理解の要求に基づいて語られた物語である。しかし、その物語で重要なことは独自性ではなく真実性である。

 解説:平穏な日常生活では物語を作る必要性はあまり感じませんが、困難に直面したり何かを決断したりするときには、その困難や決断を意味付けるための物語を人間は必要とします。苦しいことがあったときに、「これは神の与えてくれた試練だ」と考えるのもひとつの物語です。その物語が組織的に利用された例が、ナチスの物語、オウム真理教の物語などでしょう。

 問題は、自分が自分らしく生きるための物語であるにも関わらず、その物語が自分以外の神様や仏様から与えられた既製品の物語であることが多いということです。自分の物語は、やはり自分で作らなくちゃね。
●ある人物についての物語が(感)
 第一段落は、要約と意見(社会問題)。「人が行動をするときには物語が必要だ。しかし、自分にとって本当の物語というものがなく、社会から与えられた物語の上を生きているような社会であれば問題だ。」

 第二段落は、その原因と体験実例。「第一の原因は、社会の提供する物語が数値などの科学的な装いを持っているために、人が自由に自分の物語を作れなくなったからではないか。私も、幼稚園のころの夢は大きかったが、高校生になり、毎回テストのたびに偏差値や順位などを知らされると、夢が小さくなってきた。」

 第三段落は、原因2と自然科学実例。「第二の原因は、社会が複雑になり、人間が社会の全体像を見て自分の位置づけを考えるということがしにくくなったためである。そのために、自分の関わりのある狭い範囲で、生きる人が増えてきたのではないか。島に住む動物は、ゾウは小さくなりネズミは大きくなると言われている(自然)。ゾウやネズミが、大陸というより広い世界では、よりゾウやネズミらしく生きなければならないように、人間も広い世界を自覚するときに初めてより自分らしい物語を作って生きられるのではないか。」

 第四段落は、反対理解と自作名言、又はことわざの加工。「確かに、自分の作った物語がいくら自分にとっては真実らしく見えても、それが『世界征服の夢』のように今日の民主社会と共存できないものでは困る。しかし、私たちはもっと自分らしい物語を見つけるべきではないか。物語は、そこにあるものではなく、自分が日々作り替えていくものである。『鰯の頭も信心から』という言葉がある。鰯の頭を鰯以上のものにするのが、人の物語を作る能力なのである。」