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コオロギは「リーリー」と
イチゴの広場
小西あおに小6
 すくなくとも、コオロギが、人間が聞いているのと同じように「リーリー」
という声を聞いているという保証はない。サッカーのルールについて何も知ら
ずに、サッカーの試合を見ていても何も面白くないだろう。自分のものの見え
方や感じ方を絶対のもの、間違えないものだと思わない様にしなければならな
い。
 
 ぼくはこの話について、このような体験をした。
 
 これは、たしか、去年だったと思う。沖縄に行った時のことだ。海であそん
だときに、海のうえに、ういている、しかくい、ものがあった。それは、自由
にのっていいらしく、ぼくものってみた。しかしその乗る前に父に、
 
 「これ乗ったらおまえようぞー。」
 
 といわれた。僕は、父が行ったことなので本当だと思った。何分か、そのう
えにいたら、父のいった通りになった。ぼくが、父に、
 
 「おとうさんがいったとおり、本当によっちゃったよー。」
 
 と言った。すると父が、
 
 「馬鹿かお前、うそにきまってんじゃん。」
 
 といったのだ。するとちょうしにのって父、次は、
 
 「おい、この日焼け止めクリームぬるとはくぞ。」
 
 といいだしたのだ。僕は、
 
 「ねぇ、それってほんと。」
 
 聞くと、父は、
 
 「うそ。」
 
 といったのだ。もし、父が「うそ」といっていなければ、ぼくは、もしかし
たら、はいていただろう。
 
 人間というものは、そのものを知らなければ、いらいらしたりするだろう。
上の文の場合では、「病は気から」ということだ。
 
 ぼくは、これからは、いろんなことをしって、わからないものをなくしてい
きたいと思う。それとともに、間違えたおぼえかたは、したくないと思う。<i
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