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「直感」という名を持つ
イチゴの広場
太公望うの中3
 我々は「知る」ということをとても大事なこととして考えている。しかし、物
事を判断したり、それを味わったりする時にはその予備知識や固定観念がかえ
って邪魔になることがある。実際にものを見たりする時には、無心で物を見て
その時の直感を大切にする。自分には自分流の感じ方があり、見かたがある。
たとえ、百万人の人が正反対のことを言っていたとしても、自分が感じたこと
は絶対なのである。自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人々の
声に耳を傾ける余裕、このきわどいバランスの上に私達の感受性というものは
成り立たなくてはならない。
 
 直感的という物はとても大事だと思う。なぜならば、修学旅行に行く前に事
前学習をして予備知識を手に入れるがそれでこんな物かと思ってしまった。し
かし、実際にいってみるととてもすごくて良かった。もし予備知識を持たずに
言っていたとしたら、もっと感動していたに違いない。このような時直感とい
う物はとても大事だと知った。
 
 だが直感が一番良いかというとそうでもない。時と場所によっては予備知識
、固定観念が必要である。例えば歴史上の人物で豊臣秀吉がいる。その人は、
朝鮮に兵を送って失敗した。それは、向こうの大陸に対する知識が足りないた
めである。直感と先入観で行ってしまったからである。
 
 これからの社会で、直感を大事にして私は生きていきたいと思う。しかし、
直感に流されて危ない方向にいかないようにしたい。「経験は最良の教師」とい
う言葉もあるように知識より経験(直感)を大切にしていきたい。人間は生ま
れながらにして持っている物を大切にするべきだと私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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