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Mr.myself
イチゴの広場
ペー吉うき中3
 「見テ知リソ 知リテナ見ソ」という言葉がある。予備知識や固定観念は邪
魔になることがあり、自分の目でものを見るのが大事である、と言いたいので
はないか。ある美術作品にむかいあうとき、予備知識がたくさんあればあるほ
ど、素直にそれを見ることが困難になってくる。知識が必要ないわけではない
。知識を持ちながらそれにがんじがらめにならない、そのバランスのいい感受
性が必要なのだ。
 
 確かに、予備知識や固定観念が邪魔になることは多い。私も、体験した例が
ある。私は読書が趣味だ。息抜きに、簡単な小説を読んだりもする。ある時、
その小説がアニメになるという話を聞いた。私はその小説の、緻密で、一巻ご
とに明らかになり、前巻の内容に厚みをもたせていく上手い背景設定がとても
気に入っていたので、そのアニメをちょっと見てみたのだが、その内容はひど
いものだった。作品中で「人間には扱えず、特定の種族のみの能力である」と
定義されている特殊能力を、主人公達人間があっさり使ってみせるのだ。他に
も、白い光の奔流がアニメでは黒い光だったり、振動波で物を破壊する力が稲
妻になっていたりと、制作側の無知をさらけだし、原作の読者に喧嘩を売って
いるような内容だった。八割引でも買う気にならないような喧嘩だが。アニメ
単体として見ると、それなりに質はいい。声優もいいし、画面の流れ方もすっ
きりしている。どこぞの四コマ画像で車が走るアニメに比べれば、月と泥亀の
差だ。あえてヴァ●ス ●ロイツとは言わないが。私が余計な原作の先入観を
もっていたために、アニメそのものを楽しむことができなかった。知識を得て
ものを見ることは、必ずしもプラスには働かない。予備知識というものは、も
のの見方の方向を決定してしまい、それからの人生に影響を及ぼしていく。
 
 私たちの認識では、虹は七色だ。だが、ある外国の民族の間では、虹は二色
に見えるという。これは、その土地の人々が、小さいころから「虹は二色であ
る」という認識を植えつけられて、その予備知識のもとに虹を見ているからだ
そうだ。私たちが見ている虹の七色も、小さいころから「七色の虹」と教えら
れて、無意識の中までその認識が入り込んでいるから、七色に見えるのだろう
。虹の本当の色を知っている人間がいるのかも怪しい。予備知識をもってもの
を見ることは、芸術の視野を狭めることでもある。本当に美しいものを見たり
聞いたりする時は、他人からの認識や、ゴリッパな評論家サマの意見は、非常
に邪魔になる。
 
 「読書とは、他人の頭で考えることである」という言葉がある。本には様々
な知識が書かれている。しかし、その知識は他人の伝えたものであり、それを
読んだとしても、身につくのはあくまで他人の知識である。本当に「自分自身
」の認識を自覚し、他人の思考や、他人の嗜好や、他人の指向に惑わされない
ことが大切である。我々がまず認識して理解すべきは自分であり、そのうえで
、自分という人間がどのようにものを見ていくかがわかっていくのではないか
。ものを見るまえに、まず自分自身、ミスター・マイセルフを見るべきではな
いか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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