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         例えば、の話
アジサイの広場
拓馬ねき中2
落ちてきたら
 
 今度は
 
 もっと高く
 
 もっともっと高く
 
 何度でも
 
 打ち上げよう
 
 美しい願い事のように
 
 この詩には、「美しい願い事のように」という素晴らしい「比喩」がある。この
詩を読むと、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけよう、というよう
な祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ受ける。
 
 また、「月とスッポン」ということわざがある。二つのものが余りに違い過ぎ
るという意味だが、このことわざ自体、月とスッポンという非常に遠い物を結
び付けて、「月とスッポンのようだ」としているために、長く私たちの印象に残
る事ととなったと思う。
 
 他にも、野球でフォークボールの投げ方を教える時、「カーテンの紐を下げる
ように」という伝え方をすると、よりよく分かりやすくなったという。
 
 例えることは、とても分かりやすくものを伝えることができる。私も、日常
で比喩を使うことは少なくない。「例えば」とか、「~のよう」などはしょっち
ゅう使っている。例えば(おっといきなり使ってしまった。)、人にその人が
知らないことを教える時、その人の知っている物で、そのものを表す。また、
ある物の名称を忘れてしまった時、そのものの姿形を「例え」を使って表し、相
手に答えを求めたりもする。このように、比喩や例えを使うことは、そんなに
特殊な場合でないことが多い。
 
 街などを歩いていても、そのようなことは、良く目にする。でっかくはられ
た環境ポスターに「地球はごみ箱?ゴミ袋??」というように書いてあったり、
「四角い頭を丸くする(知ってる人、多いだろうな)」と書いてあって、問題まで
のっていたりする。このように、私たちの周りをちょっと見回すだけで、比喩
や例えは、すぐ目に付く。
 
 更に、このような言葉は、私たちの心の中にかなり印象深く残る。例えば、
少し前に述べた、「四角い頭を丸くする」ということをアタマの片隅にでも聞い
た覚えがある人は、かなり多いことだろう。しかし、「みんながんばろう」と
いわれても、「あっそ~」って感じである。というわけで、比喩や例えという
のは、使い方によって、人の心の奥深い所に、根を張るのである。
 
 かといって比喩ばかり使っていれば人の心をつかめるかといったら、そうで
もない。世の中そんなに甘くない。比喩には、「具体性に欠ける」という大きな
弱点がある。だから、「私は炎のような情熱で、富士山よりでかい人間になる
から、票ちょうだい。」といっても、票はえられない。具体性が必要な時は具
体的に、比喩で人の気持ちをつかむべき時にはたとえや比喩を、と使い分けて
いくべきなのだ。
 
 「餅は餅屋」という言葉がある。つまり、そのときどきにあわせて、そのと
きどきの専門家をもって対応すべし、と私は言いたいのである。人には「感情」
がある。だからこそ、自分の言葉に細心の注意をはらって、人との交流を深め
ていくべきなのだ。<img
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