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Open your mind アジサイの広場
YESせし高1 大昔に生きて来た原始人は毎日自由な時間が有ったようだ。何しろ何にもないからどこで何するのも自由だった。そんな原始人達の庭はどこにあっ たのだろうか?原始時代は何にもないわけだからそこらへんが庭だったのだ。みんな出会うところであり交流が深まる場所だ。とてもいい場所だ。  

 平安時代になると上流階級がはっきりして来て他国の国の人と戦になる事が多かった。土地を巡っての戦争でも有り天下を目指したわけだ。そん
な平安時代の町人達は毎日毎日苦しい生活を送っていたようだ。年貢を納めるだけで精一杯という感じだ。そんな町人達の庭というともちろんある はずがない。さて変わって町人達の上のくらいにいる貴族という存在の人々は毎日裕福な暮らしをしていた事だろう。そんな貴族達の庭はあったよ うだ。しかし原始時代とは打って変わって交流の「こ」の字もないような庭だ。一人占めできるとても素晴らしい庭だ。心がとても和む。松や池や 花や素晴らしい物がたくさんある。孤独感を紛らわせるには丁度いいくらいの庭だったようだ。そんな貴族達の暮らし方を見て当然のごとく町人達 はさぞかし羨ましがるだろう。自分の好きなときに心を和ませる事のできる庭が自分達にも欲しいと思うはずだ。そんな願いが叶ったのが江戸時代  

 江戸時代。戦になる事は珍しく日本の大体の国は一つになりかけていた。なった頃もあるような時代だ。町人達の暮らしも大分楽になり現代の暮
らし方にだいぶ近づいて来た頃、自分の家には庭があり少しは貴族に近づいた暮らしができるようになっていた。狭い敷地だけれど自分の孤独感を 少しは癒せるくらいの庭があった。大変いい事だ。  

 現代はそんな平安時代や江戸時代の風習が残っている。一軒家には庭があるところが多い。その庭は見る楽しさがあるだけで遊ぶ楽しさがない。
つまり平安時代から現代にかけて庭に進歩がない。現代人の考えは物を大切にしようという考えの元からか公園などの木にそうやすやすと登れない 状況にあると思う。そもそも最近子供の遊び場が減って来ているような気がする。例えば小学校低学年の鬼ごっこと小学校高学年の鬼ごっこは違う 。小学校低学年の鬼ごっこは大きくたくさん走れる広場があれば鬼ごっこはできる。しかし小学校高学年の鬼ごっこはかくれんぼが混じったみたい にただ走るだけではなく鬼から隠れたりするという事ができなければならないと思う。自分も小学校6年生くらいのころ団地の中でそういう鬼ごっ こをやったりした。その度に団地の住人から「うるさい。やめろ~。」などといわれてしまいやめざるおえなかった事が心に残っている。だから今 の子供はゲーム類に目がいってしまうのだと思う。  

 これからの理想の庭はみんなで集まっていろいろできる場所にしていかなければならないと思う。原始時代のようなもっと全面的にOPENな庭が必
要だ。平安時代のようにCLOSEな庭だと子供の心も閉ざしているのだ。更に庭だけでなく遊び場などのことも考えるとなおいいだろう。生きてて楽し いいことをするには心を開くのだ。つまりOPENな気持ちが必要だ。庭に革命を起こしOPENな庭を作れば次第に心も開けてくるだろう。そうなるよう に考えよう!  

 
                                               
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