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清書:人生前向き アジサイの広場
香奈子いし

「暗い考え方で、ものを見れば、どんな場合でも喜びと感謝は感じられません。不運は原因あっての結果。『蒔かざれば花咲かず、実らず。』自分
が生きるうえに何か誤りがあったがための結果の現象なんですからね。」(成功の実現・中村天風)  

 今日、暗い景気は続く。毎日が明るいニュースであれば…と思うが必ず1日1回は暗い事件が報道される。現代の半分以上が悪い事で埋め尽くさ
れている気さえしてくる。そんな日々だからこそネガティブになってはいけない。歴史の中は悪いことの次には必ず良いことが綴られているではな いか。人はポジティブに生きるべきだ。  

 五体不満足の人がいた。社会的なブームとまでなった、乙武君だ。今となっては俳優なみの有名人だ。私は彼を、とても尊敬している。彼は多く
の人が知ってのとおり、手足が無い状態で生まれてきた。普通の人と同じではない。幸せも少ない。そのような考えは彼の辞書には存在しなかった 。彼は多くの人の愛情と彼、個人の努力により、誰よりも多くの幸せを自分の手でつかんだ。自分のやりたいものは自分にできるように変えて、す べて彼が可能なものにした。彼の自伝はベストセラーになり、その本は多くの人の心を励ましてくれるものだった。私が彼を尊敬するのは、誰より も一生懸命に生きているからだ。自分の身にある不運を彼は不運だとは思っていない。彼は五体不満足であったが、先に述べたように今では俳優以  

 人は自分自身を理解したとき、多くの不運を乗り越えられる。その時は、不運を不運だとは、きっと思わないであろう。
 

 私は幼い時から自分は本当にかわいそうな子だと思っていた。両親は共働きで帰りが遅く、子どもの私は淋しかった。育ての親である祖母は厳格
な人でよく叱られた。その上、両親の経営している飲食店がそばにあったため、幼少の頃よく近所の子にからかわれた。しかし今となってみれば、 自分はその多くの不運だと思っていた要因によって、多くの幸せを贈与されていたことに最近気づいた。両親の共働きにより、今私はこうして大学 生に何の苦労もせず通える。祖母に育てられたおかげで今の自分になれ、多くの友達できている。何より、両親が近くで働いていたからこそ自分の 『接客業』という夢が持てた。両親の働く姿を見ていたからこそである。そんな私は今誰よりも幸せであると自負している。私の不運は何も不運で  

 どんなに辛いことでも、それはいずれ自分の骨となり、肉となるのだ。スポーツマンはあえて自分の体を酷使する。自分を追い込んでいくことで
大きな栄光を修める。不運なことは何かの縁であり、幸福にたどる途中道にすぎないのだ。どうせならば、不運を認めて過ごすよりも幸せの手前な のだと思い込んだほうが幸せである。私は新年におみくじをひいたら、凶が出た。これで2年連続である。しかし去年と同じならば自分は今年も幸 せであおうと思っている。人生前向きであるほうが得である。  

 
                                             
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