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清書:宗教の攻撃性 イチゴの広場
眠雨うき高2

 本来人を善い方向へ導いていくはずの宗教に、しかし攻撃性がある。十字軍やジハードなど例は歴史上に点在しているが、ではなぜ宗教が攻撃性
を持ってしまうのだろうか。  

 その原因としては第一に、宗教の説く絶対性があげられる。絶対正義にはブレーキが利かない。人を殴る罪悪感を、宗教は持たせない。絶対性は
排他性ということもできる。宗教はその性質ゆえに、異なる思想と共存ができないのだ。  

 また第二に、宗教が与える安心感というものもある。何か強いものに庇護されている感覚、同じものを信じ、理想としている人間がいる安心感。
そうした環境では人の感覚は麻痺し、他者に流され安易に非道徳的な教義に従ってしまいかねない。  

 「天知る地知る」ではないが、絶対性もそうした倫理的規制力としての意味を持つのなら宗教の存在は否定すべきものではない。問題はそれが悪
用され得るということ。宗教は一つの思想でしかない。その両刃をよく理解し、宗教が平和のために役立っていく道を、我々は模索するべきであろ                                                    
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