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思い出 イチゴの広場
潤之介かな中2

 不思議な、あるひそかな不安を感じながら、私は少年時代に喜びを味わった、なじみの場所を見まわした。それらは、昔とは違った顔をしていた
。つきることのないその魅力をいくぶんか失っていた。汽車が、私のそばを通り過ぎた。それを見送った私は、一瞬非常にはっきりと、ここではも う、私の本当のよろこびが花咲くことはないと感じた。そして、あの列車に乗って世の中へ出て行きたいと、心の底から思った。  

 子供の頃に、楽しいと感じてたことを、大人になってやってみて、なんでこんなことが楽しかったんだろう?などと思って、虚しくなることがあ
ると思う。  

 例えば、木登りなどである。私も小学生の頃に、よく近所の友達と木に登って、一日中話をしてたものである。あの頃は、その木に登ってると、
何時間でも話が出来るような気がした。だが中学生になった今、その木に登ってみたとしても、話す内容も見つからないし、気まずくなって、すぐ に木を降りるだけだろう。悲しいことだがしかたがない。  

 自立すると、だんだんとこうなっていくのだろうか?もし、そうならば、確かに社会に通用するようになるには、親の元から離れなければならな
い。そのためには、自立は必要だと思うが、それと引き換えに、とても、とても大事なものを失うのだけは絶対に嫌だ。それは、自然にありのまま に接する素直さである。ほんのちょっとしたことでも感動し、それを不思議に思う。しかも、その不思議に思うことを恥じない。その気持ちだけは  

 しかし、だからといって、ずっと自立しないままでいると、自分を新しくできない。時には、古い自分を脱ぎ、新しい自分になることも大切であ
る。そうしないと、人は進歩できないだろう。動物はどれでもそうである。鳥だって、雛のうちには親が餌を運んできてくれるが、そのうちに大き くなったら、巣立ちをしなくてはいけない。いつまでも、親によりかかってばかりはいられないのである。だが、その自立をする時に、今までの自 分を忘れてしまう人が多いようである。それは、私も例外ではない。上にも書いたように、昔、楽しいと思ってた事が、あまり楽しく感じられなく なってしまっている。だから、古い自分を脱いだ時、その古い自分を大切に心にしまっておくことが、とても大切になると思う。  

 上の文を読んでみると、自立することも家族や自然と一体となることも大切なことなのだ。だが、どちらがいいとか悪いとかは誰にも言えない。
自分のなりたい方になるだけである。ただ、もしこれを読んでる貴方がどちらも大切だと思うのなら、そのことをしっかりと心の隅に止めて置いて 、自立しながら、自然や家族と一体となる心を忘れない。それができたなら、誰よりも素晴らしい人になれることだろう。  

 
                                             
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