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日本に生きる アジサイ の広場
眠雨 うき 高2

 日本人は狭い所が落ち着くと言われる。レストランでは壁際の席から順に占領し、弁当は教室の片隅で食べ、子供たちは秘密基地をつくる。これはかつて
の、広葉樹林に覆われ暗く湿ったなかで暮らした縄文の時代から綿々と引き継がれる、一種の文化と言ってしまっても差し支えない。家は広々としたリビン グと大きな庭を持ち、部屋の境界が薄いアメリカとは大きな違いがある。ところが最近、こうした本来日本人の感性には合わない「広々とした」アメリカ式 の家が流行ってきている。当然どこか落ちつかないのだろう、日本人たちは本棚やこたつで、さりげなく、しかし一生懸命に生活空間を狭く狭くしようとし ている。どこか滑稽でもある。  

 こうした問題が起きてくる背景は、明治維新まで溯ることができるだろう。幕府が崩壊し鎖国が解かれ、数多の「優れた」外国文化が多く流入した。しか
し日本人は「外国に遅れている」という認識はあったものの、ではなにをどこまで外国へ合わせればいいかはわかっていなかった。遅れている文明を入荷す るだけでなく、優劣はなくただ違うだけのものである文化さえも、時代に流され受け入れてしまったのである。結果髷は切られ、日本の気候に合わない洋服 が主流になり、人々は「古臭い」自国の文化を軽蔑し、欧米へ盲目的な憧れを抱いた。そのナンセンスな感覚が、現在まで引き継がれていると言えよう。外 国のものはカッコイイ、という風潮は今でも根強い。先日聴いたある日本のビジュアルバンドのアルバム中に、フランス語で書かれた詞があった。日本の隅 のバンドの曲をフランス人が聞くことなど皆無であろうし、むしろ主要な客層は日本人である。大多数の日本人にわかるわけもないフランス語で歌詞を書く というのは、それは単純に「その方がカッコヨク見えるから」というバンドのポーズに過ぎないだろう。そして実際にそれが「なんとなくインターナショナ ルでトレビアン」と思われてしまうのが近代日本の風潮である。  

 また第二の原因として、日本の経済構造がこれに対して何らの対策を講じなかったことが挙げられるだろう。売り手としては当然のことで、売れ筋の商品
を堅実に回していったら、いつしか自然と今の構造が作られた、という感じかもしれない。それこそ時代の流れということもできるだろう。しかしむしろそ うした製品の流通に携わる人間だからこそ、古来からの生き方を大切にしていくことには敏感であるべきだ。それが伝統として伝えられてきたのは、日本の 風土や日本人の魂に、それがよく似合っていたからだろう。風通しの良い和服は湿気が多く気温の高い日本の夏に適し、狭い部屋で万年床に眠るさまは、閉 所を愛する日本人の心によくあっている。  

 確かに諸外国の文明は日本よりも優れた部分はあるだろうし、文化においても、日本文化の有する欠陥を埋めるような尊敬すべき部分があるだろう。しか
しそれを追い求めるあまりに、己を忘れ、ひたすらに他を模倣するようであってはならないのではないだろうか。日本にもまた尊敬されるべき文化はあり、 もちろん尊敬すべき文化もある。大切なのはそうした様々な違いのなかで、本来必要とされる部分と、むしろ変革していくべき部分を見極めていくことでは ないだろうか。                                                    
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